2015年9月29日火曜日

ストラヴィンスキー  『プルチネルラ』













ストラヴィンスキーの
異色の作品


 ストラヴィンスキーの音楽と言えば、バレエ音楽の「春の祭典」や「ペトルーシュカ」を思い出される方が大多数でしょう。しかし両曲の強烈なイメージゆえに、ストラヴィンスキーの作品は「どうも苦手だな……」という方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 でもご安心ください。
 ストラヴィンスキーのバレエ音楽にも、とても親しみやすい作品があります。
 それが「プルチネルラ」です。「春の祭典」で現代的な和音を表出したり、抽象的なリズムの迫力を示したのとはまるで違う作曲法に、きっと多くの方が驚かれることでしょう。
 このバレエ音楽には原曲があり、それが18世紀イタリアの作曲家ペルゴレージの作品だというのです。

 とはいうものの、ストラヴィンスキーは原曲をかなり現代風にアレンジしており、それがこの作品を新古典主義と称されるように聴きやすく親しみやすいものにしているのかもしれません。原作は仮面に潜む人間の本質や恋愛感情を劇にしたコミカルな作品ですが、全体を通しても35分から40分程の短い曲で大変聴きやすくなっています。たとえストーリーの展開がわからなかったとしても、管弦楽の楽しさや声楽の魅力が楽しいひとときを約束してくれることでしょう!
 またメンデルスゾーンの『真夏の夜の夢』のように管弦楽組曲として聴いてもかなり楽しめるかもしれませんね……。



変化に富んで楽しい
お茶目な作品

  何よりも楽器の扱い方の見事さとセンスの良さには唸るしかありません。ストラヴィンスキーは元来、色彩的な響きの表現に精通していている人ですが、この作品でもそれは充分に感じることができます。楽器の表情や音色には魅力があるし、フレッシュで楽しく、様々な旋律がぐんぐん心に響いてくるのです。それぞれのフレーズで美しく魅力的に聴こえる表情を実に巧みに作り出しているではありませんか……。

 たとえばスケルツィーノ、アレグロでの弦楽器やフルート、ピッコロ、オーボエ、ホルンが声を交わすように繰り広げられる部分は夢のようなハーモニーとなり楽しませてくれます。
 チェロ、コントラバス、トロンボーン、チューバ等の低音域の楽器がおどけたフレーズを繰り広げるヴィーボもユーモラスで楽しいですし、タランテラでの弦の無窮動のようなしなやかな旋律も幻想的な雰囲気を高めてくれます。しかも要所要所での雄弁でメリハリのある金管や弦楽器の奏法は、さすがに「春の祭典」で心理的効果音を表出した作曲家だけあってとても上手いですね!
 この作品には管弦楽組曲版と声楽が加わった全曲版がありますが、当然声楽入りの全曲版が味わい深いのは言うまでもありません。

 演奏は1980年の録音で少々古くなりましたが、ピエール・ブーレーズ指揮アンサンブル・アンテルコンタンポラン(エラート)が素晴らしい演奏です。ブーレーズはストラヴィンスキーの音楽と相性がいいようで、ゆとりのある造型と楽器の音色の新鮮さやバランス感覚に魅了されます。声楽陣も全体的に安定していて、特にアンソニー・ロルフ・ジョンソンの美声と哀愁を漂わせた歌が最高です!




2015年9月24日木曜日

『モネ展 ―「印象、日の出」から「睡蓮」まで―』










モネの渾身の力作を
集めた展覧会

 既に9月19日から東京・上野の東京都立美術館で開催されている『モネ展 ―「印象、日の出」から「睡蓮」まで―』はマルモッタン美術館所蔵の作品を公開する展覧会です。

 このモネ展は2015年下半期の展覧会の中で注目の展覧会と言っていいでしょう。特にモネが印象派の産声を上げたとされる『印象・日の出』や晩年の『睡蓮』にいたるまで、モネの絵のエキスが詰まった絵の数々が大変見ものです!
 モネの創作の原点をたずねるという意味では必見の展覧会と言えるのではないでしょうか。

 なお、東京展の開催は12月13日までなのですが、今回の注目作のひとつ『印象・日の出』は10月13日までの展示になりますので、くれぐれもご注意ください……。



会期                2015年9月19日(土) ~ 12月13日(日)
会場                東京都美術館・企画棟 企画展示室
                 〒110-0007 東京都台東区上野公園8-36
休室日        月曜日、10月13日(火)、11月24日(火)
                     ※ただし、10月12日(月・祝)、11月2日(月)、11月23日(月・祝)は開室
開室時間      9:30~17:30 (入室は閉室の30分前まで)
夜間開室      金曜日、10月31日(土)~11月2日(月)は9:30~20:00
                 (入室は閉室の30分前まで)
                    ※ただし、9月19日(土)~10月18日(日)の金曜日・土曜日、
                9月20日(日)~9月22日(火)、10月11日(日)は9:30~21:00
観覧料        当日券 | 一般 1,600円 / 学生 1,300円 /
                高校生 800円 / 65歳以上 1,000
                団体券 | 一般 1,400円 / 学生 1,100円 /
                高校生 600円 / 65歳以上 800
                ※団体割引の対象は20名以上
                ※中学生以下は無料
                ※9/19(土)~9/30(水)は高校生無料観覧日(学生証の提示が必要)

WEBサイト  http://www.ntv.co.jp/monet/









2015年9月14日月曜日

クロード・モネ 『印象・日の出』










画風を変えることは
制作上の必然性が伴う

 画家が絵を描くときに避けて通れないことがあります。
 それは自分に忠実にモチーフを見ようとすればするほど、画家の心に新たなスタイル(画風)への必然的な転換意識がどんどん沸き上がってくることと、画家として成長し進化するためにはその可能性を否定しないで受け入れることなのです。画家は基本的に商業デザイナーやイラストレーターではありませんので、制作上の制約はもちろんありません。いくらでも自分の思うがままにスタイルを変えることができます。

 しかしリスクもあります。スタイルを変えることによって、文化人や評論家、パトロンからまったく見向きされなくなったり、美術協会から追放されたり、過剰なバッシングを受けることも珍しくありません。それが急進的な画風であればあるほど風当たりは強いと言えるでしょう。

 ただし画家の制作ポリシーがしっかりしていると、そのようなバッシングや締め出しもいずれ時間が解決してくれるのです。

 印象派の旗揚げをしたと言ってもいいモネですが、彼も「印象・日の出」を発表した当初は大変な誤解と中傷を受けた人でした。この絵について「まだ未完成じゃないのか…」とか、「タッチが荒すぎる」、「手抜きだ」ととんでもない言いがかりをつけられたのでした。しかしモネは彼自身の中に描きたい絵のイメージが明確にありましたし、ちょっとやそっとではそのポリシーが崩れることはなかったのです。



物事の本質を鋭く見抜く目


 モネの絵は日本で非常に人気があります。それは日本人が四季折々の移り変わりや些細な変化に敏感なのと同様に、モネの絵には細やかな情感を映し出す感性のフィルターが備わっているからなのでしょう。

 モネは繊細な感性だけでなく、物事の本質を鋭く見抜く目も人一倍優れていました。モネの絵を見るとそれぞれの絵が静止した空間ではなく、呼吸をし、生きて語りかけるように私たちに迫ってきます。この「印象・日の出」も、モネ一流の目と感性が捉えた卓越した風景画と言えるでしょう。
 モネは決して絵画の新しい流派を立ち上げようと躍起になって描いたわけではなく、自分の感性を信じて描いていったら「たまたまこんな絵になった」というのが本音なのではないでしょうか……。

 この絵は文字通り、本格的に印象派が産声をあげるきっかけになった作品です。モネがこの作品を発表した当時はアカデミックな絵が主流の時代でした。

 モネがモチーフとしてよく選んだル・アーブル港。太陽が昇る瞬間といくぶん湿気を含んだ空気に朝もやが微妙に絡みつく気だるい早朝……。その様々な要素がこの絵に変化とドラマを生み出していますね…。瞬間を逃すまいと素早く的確に刻み込まれた筆のタッチは港の情景を生き生きと再現しています。おそらくモネは「今ここに立っている……」という臨場感や空気、肌で感じた偽らざる感覚を絵で訴えたかったのでしょう。
 空を覆う太陽の光、水面に映る光は同じところにとどまることなく、確かな時間の経過や動きを感じさせます。

 経験値やテクニック、頭で考えて常識的な範囲内で綺麗に絵をまとめたのではなく、自分が今、生きていることの紛れもない証、それこそが「印象・日の出」だったのかもしれません。





2015年9月6日日曜日

ハイドン テレジア・ミサ














ハイドンの音楽の魅力が
充満している作品

 すっかり朝晩涼しくなってまいりました。数週間前まで真夏の猛烈な暑さが続いたのが今となっては嘘のようですね。それにしてもここ数日の天気の急変ぶりには戸惑ってしまいます……。晴れているかと思えば、急に雨が降ってきたり、暑いのかと思えば夕方急に冷え込んだりと…、まだまだ油断出来ない気候が続いています。季節の変わり目ですので皆様、くれぐれも体調管理にはお気をつけくださいませ。

 さて、今回も前回に引き続きハイドンのミサ曲をとりあげたいと思います。今回は代表曲の一つにも数えられる「テレジア・ミサ」です。
 テレジア・ミサはハイドンの数多くのミサ曲の中でも屈指の傑作といえるのではないでしょうか。とにかくキリエからアニュスデイまでの全編が聴き所満載です。そして構成や曲の展開もすこぶる充実しているのです。

 特にグロリアの充実感と言ったらどうでしょう! 音楽を聴く喜びと感動で心がいっぱいになります。最初のGloria in excelsis Deo(いと高きところに栄光あれ)はタイトルが示すとおり、格調高く威厳に満ちた響きがまさに天に通じるかのようです!
 それに続くGratias agimus tibi(感謝したてまつる)のアルトやテノール、バスの独唱、二重唱、三重唱の絶妙な声の饗宴と変化に富んだ展開はハイドンの大らかで豊かな人間性が最高に表わされたもので、それは合唱を伴いつつさらに深遠な世界を醸し出していきます。続く Quoniam tu solus sanctus(イエス=キリストよ 主のみ聖なり)の明るく優しさに満ちた響きも何とも言えない魅力をふりまきます!

 クレドやサンクトゥスの確固とした造型と揺るぎない音楽の展開は唖然とするほどですし、音楽の山場が何度も現れるような気がするほどです!
 また、ベネディクトゥスのあふれる希望と幸福感!ハイドンの音楽はいよいよ輝きと深い味わいを増し加えていきます……。

 アニュス・デイで厳粛な悲しみが告げられると、まもなく暗雲を吹き飛ばすかのようなフィナーレの合唱がやってきます!「主の平安を与えたまえ」は微笑みにあふれたフーガが活躍する最後の合唱で、中間部の絶妙な転調は広々とした天空の彼方へと連れ去られるようにも思えますね。まさにハイドンの音楽の粋がここにあると言ってもいいのではないでしょうか。

 ミサ曲が重苦しくて聴くのが辛いという方は、まずはこのテレジア・ミサをお聴きになられることを強くお薦めします!今までミサ曲に抱いてらっしゃったカトリックの典礼に基づく概念が、もしかしたらいい意味で覆されるかもしれません。それほどこのミサ曲は自由なイマジネーションと無垢な感動、希望にあふれた魅力作なのです!



リリングが辿り着いた
古楽とモダン楽器の長所を
融合した格調高い名演奏

 まず驚くのが録音の素晴らしさでしょう。それはただ単に音質がいいというのではなく、合唱とオーケストラのバランスが理想的な音量と臨場感で収録されているのです!
 大体このようなオーケストラを伴う声楽曲の場合はどちらかに音質が偏ってしまいがちなのですが、この録音にはそれがありません。
 分離の状態がとてもよく、合唱の様々なパートが美しく冴え渡って聞こえるのです。

 もちろん肝心の演奏がよくなければどんなに録音が良くても興ざめですが、これは合唱、ソリスト、オケ、指揮者の表現とすべてに素晴らしいのです!

 合唱は発声の美しさやハーモニーの透明感も保ちながら、躍動感やダイナミズムが伝わってくるし、何よりも音楽に心地よい流れがあります。
 この演奏は前回紹介した戦時のミサと同じアルバムに入っているのですが、戦時のミサが1992年の演奏だったのに対して、それから15年後の2007年の演奏です。この録音のほうがさらに生気にあふれていて素晴らしいと思うのは私だけでしょうか…? 

 恐らく15年の間にリリングは表現の幅を著しく拡げたのでしょう。古楽器奏法に近いスッキリとした造型と響きを基調にし、ヴィブラートを極力抑えた声楽パートの表現を施しながらも、従来のモダン楽器を踏襲した自然なフレージングやダイナミズムを良しとした表現は古楽かモダン楽器かで論議を呼ぶハイドンの作品のあり方に大きなヒントを与えてくれるようにも思います。

 従来通りのオーソドックスな名演奏としてはネヴィル・マリナー指揮ドレスデン・シュターツカペレとライプツィヒ放送合唱団、ワトキンソン(Ar)、マーシャル(S)、ルイス(T)、ホル(B)の録音(EMI)がオーケストラ、合唱の精度が非常に高く、安心して曲に浸ることができます。





2015年8月31日月曜日

ハイドン 戦時のミサ



















苦難の時代のミサ曲といえども
重苦しくならない
ハイドンの傑作

 ハイドンは交響曲や弦楽四重奏曲はもちろんのこと、ミサ曲でも堅苦しくない魅力あふれる数多くの作品を世に送り出しました。しかし、たった1曲だけネーミングからして取っつきにくそうな曲があります……。それが通称「戦時のミサ」と呼ばれる「パウケン・ミサ」なのです。

 このミサ曲の標題から「何やら戦争にまつわる重苦しい作品なのかな」と思われる方も多いのではないでしょうか。しかし、実際はかなり様子が違います。

 何を隠そう、「戦時のミサ」は戦争をテーマにした作品ではなく、作曲された18世紀末当時のオーストリア情勢が非常に緊迫したものだったことに起因しているのです。当時ナポレオンをはじめとするフランス軍はオーストリア方面を激しく攻め立て、1809年には遂にウイーンを陥落させたのでした。そのような時代的な背景もあって、ハイドンはこの作品を戦時のミサとしてスコアに描き込んでいたというのですが、その気持ちもわかるような気がいたします……。

 さて「戦時のミサ」ですが、この作品はミサ曲というだけにとどまらず、純粋に作品としても魅力的ですし立派です。まず、キリエ冒頭のなごやかで落ち着いた合唱からしてハイドンの優しさと度量の大きさを感じますね……。主部は生き生きとしたリズムと無垢なメロディが心地よく、連続して現れる主題の展開の見事さに息をのみます。何という天才的な筆の冴えなのでしょうか!

 グロリアやクレドの無垢で多彩な迫力も充実していていますが、感動的なのはアニュス・デイでしょう。 祈り、悲痛な想い、回想やら、様々な情感が込められたこの音楽はティンパニの音と共に刻々と表情を変えつつ、決然たる意志と勇気を導き出していきます! 全体を通して苦難の時代のミサ曲といえども決して深刻になったり暗くならないところがハイドンの偉大なところかもしれません!



透明感あふれる
ガーディナー盤と
立体的なリリング盤

 演奏でメリハリが効き、純粋に聴いていて美しく飽きさせないのはジョン・エリオット・ガーディナーとモンテヴェルディ合唱団のCD(Philips)でしょう。
特にキリエの絶妙なハーモニーの美しさに加え、聴かせどころをしっかりと捉えた表現は最高です!

 グロリア、クレド、サンクトゥスもまったく窮屈さを感じることがありませんが、特に素晴らしいのはアニュス・デイ! 静かで深い祈りに満ちた声の響きが陰影を伴って作品の魅力を際だたせていきます。 ファンファーレのように鳴り響くアレグロの部分も熱気を帯びながら聴く者を興奮の渦に巻き込んでいきます。

 立体的な音の構築が素晴らしく、音楽を聴く喜びでいっぱいに満たしてくれるのがヘルムート・リリング指揮シュトゥットガルト室内管弦楽団およびゲヒンゲン聖歌隊(ヘンスラー)の演奏です。細部の表情こそガーディナー盤に一歩譲りますが、密度の濃い声の響きや安定したハーモニー、柔らかく強靱なオケの音色は何度聴いても飽きませんし、ハイドンの音楽の魅力に改めて気づかせてくれる演奏と言ってもいいでしょう! ソリストもそれぞれに素晴らしいのが特徴です。



2015年8月21日金曜日

リリングのヘンデル「サウル」









作品の懐の深さを実感する
リリングの演奏

 特別な理由はありませんが、最近盛んに聴いているのがヘルムート・リリング指揮のヘンデルの「サウル」(ヘンスラー)です。この「サウル」の特徴を一言で言えばモダン楽器によるCD2枚組盤ということになるのでしょうか。オリジナル楽器の演奏に慣れ親しんだ人にとっては、少し特殊に感じるかもしれませんが、私にとっては大満足とまではいかなくとも充分に納得できる演奏でした。
 また、「サウル」は「メサイア」や「ソロモン」と違い、曲が重厚で劇的に作られているため、オリジナル楽器よりモダン楽器を使ったダイナミックな表現がよくあうのかもしれません。

 それにしても「サウル」は聴けば聴くほど新たな発見と感動に心が穏やかでなくなる凄い曲です。演奏に多少綻びや物足りなさがあったとしても、つまらないということがほとんどありません。それは「サウル」が作品としてよく出来ているからなのでしょうし、音楽の懐の大きさや芸術的な輝きがそれを充分に補ってくれるからなのでしょう。

 リリングの「サウル」は意欲的な演奏で、様々な試みを採り入れています。たとえば序曲の変奏曲でブロックフレーテが中間部を歌ったり、終結部の合唱でブロックフレーテを絡ませて壮大な響きの中にも純粋無垢な響きを表出しようとしているのですが、「新鮮で面白い表現だ」と支持する方もあれば、私のように「サウルの世界観には軽くてふさわしくない」と否定的な想いを持たれる方もいらっしゃるでしょう……。このあたりの表現はきっと賛否両論分かれるのでしょうね。

 しかし演奏そのものは大変充実していて、シャープで明確、しかも要所要所での歌わせ方が曲によくマッチしているため音楽の魅力を充分に堪能できるのです。ややもするとモダン楽器の演奏は重たく鈍くなりがちなのですが、リリングはそれを極力軽減してオリジナル楽器流の透明感を保ちながらモダン楽器ならではの彫りの深い演奏を目指したことが伝わってきます。ちなみに第1幕を聴いた途端にあれよあれよという間に音楽にのめり込んでいく自分がいました……。

 2枚組ということで音楽がコンパクトに収まり聴き易いメリットがある反面、曲の聴き所を切り捨てざるを得ないデメリットがあるため指揮者としてはなかなか難しい選択を迫られるところかもしれませんね。リリングは全曲をあえて演奏するより、集中力を切らさずに全曲を聴いてもらおうという意識に転換したのかもしれません。



ドラマを盛り上げる
抜群のキャスティング

 キャスティングは全般的に優れていて、それぞれが「サウル」の人間ドラマを雄弁に表出していることに驚かされます!

 特に素晴らしいのはサウルを歌うマルクス・アイヒェでしょう。アイヒェはヴァグナー歌手として最近注目を集めている人ですが、この「サウル」を聴けばそれも充分に納得していただけることでしょう。自己顕示欲が強いものの、嫉妬に狂い苦悩に沈むサウルの胸の内が伝わってくるようですし、その存在感のある声の響きは最高です。
 ダヴィデを歌うダニエル・テイラーの気品のある声の美しさや知的で繊細な表現も役柄にピッタリですし、ミカル役のはキルステン・ブレイズも人間味ある美しい声で魅了してくれます。

 キーポイントの合唱を担うシュトゥットガルト・ゲッヒンゲン聖歌隊は声のバランスや透明なハーモニーを重視するというよりは、それぞれのシーンにふさわしい性格描写や表現を第一に考えているようです。したがって第一幕の合唱は壮大なスケール感を表現しようとするあまり、時に力みを感じるように聞こえなくもありません。

 しかし、第3幕でのサウルの死を悼む情感豊かな表現や新しい出発を誓う共感に満ちた祈りの表現は圧倒的に素晴らしく、合唱のエキスパートとしてオラトリオ、声楽曲で幾多の名演奏を残したリリングの音楽性の高さを痛感させられます。

 結論としてリリングの演奏はなかなか素晴らしかったです。しかし古今東西のあらゆる演奏を含めて現時点で「サウル」の演奏はまだまだ極め尽くされていないということを実感いたしました。改めてこの曲に込められたヘンデルの深い意図と想いが伝わってくるようです!


2015年8月3日月曜日

ラウル・デュフィ 『クロード・ドビュッシーへのオマージュ』










センスあふれる色彩や線
自由な着想

 ラウル・デュフィの絵を見ると、いつも洗練された典雅な世界を感じます。

 彼の絵はいつも無味乾燥な日常に潤いを届けてくれますし、センスあふれる色彩や線、自由な着想はクリエイティブな感覚を刺激します。仮にそれがデザインや挿し絵として用いられたとしてもたぶん違和感なく、すんなりと媒体に溶けこむのでしょう……。
 いつも言うことですが、ボナールやマルケと同様にデュフィの絵を家の壁に飾ったら、どれほど部屋が明るくなることか……。

 堅苦しい表現を極力抑えた画風や感覚的な絵の特徴はそのまま彼の絵の魅力そのものなのです。 
 少なくともデュフィの絵にはユトリロやモディリアーニの絵に見られるような壮絶極まりない表現は似合いませんし、見当たりません。そのかわり何とも言えない五感を優しく刺激する色彩のハーモニーや柔らかな線のリズムが私たちを何とも言えない幸福感で満たしてくれるのです。

 『ドビュッシーへのオマージュ』は画家の晩年の作品ですが、絵がまったく枯れていません。それどころか形式にとらわれず、感性や閃きを具体化したような響きあう色彩のイメージは若々しい感性に満たされています。
 デュフィの絵をよく見ると形や線は色彩のイメージを引き出すための補助的な役割しか果たしていないことに気づかれることでしょう。なのに、柔らかくリズミカルなタッチで描かれた線は多くのことを語り、様々な表情を見せてくれるのです。