作品の懐の深さを実感する
リリングの演奏
特別な理由はありませんが、最近盛んに聴いているのがヘルムート・リリング指揮のヘンデルの「サウル」(ヘンスラー)です。この「サウル」の特徴を一言で言えばモダン楽器によるCD2枚組盤ということになるのでしょうか。オリジナル楽器の演奏に慣れ親しんだ人にとっては、少し特殊に感じるかもしれませんが、私にとっては大満足とまではいかなくとも充分に納得できる演奏でした。
また、「サウル」は「メサイア」や「ソロモン」と違い、曲が重厚で劇的に作られているため、オリジナル楽器よりモダン楽器を使ったダイナミックな表現がよくあうのかもしれません。
それにしても「サウル」は聴けば聴くほど新たな発見と感動に心が穏やかでなくなる凄い曲です。演奏に多少綻びや物足りなさがあったとしても、つまらないということがほとんどありません。それは「サウル」が作品としてよく出来ているからなのでしょうし、音楽の懐の大きさや芸術的な輝きがそれを充分に補ってくれるからなのでしょう。
リリングの「サウル」は意欲的な演奏で、様々な試みを採り入れています。たとえば序曲の変奏曲でブロックフレーテが中間部を歌ったり、終結部の合唱でブロックフレーテを絡ませて壮大な響きの中にも純粋無垢な響きを表出しようとしているのですが、「新鮮で面白い表現だ」と支持する方もあれば、私のように「サウルの世界観には軽くてふさわしくない」と否定的な想いを持たれる方もいらっしゃるでしょう……。このあたりの表現はきっと賛否両論分かれるのでしょうね。
しかし演奏そのものは大変充実していて、シャープで明確、しかも要所要所での歌わせ方が曲によくマッチしているため音楽の魅力を充分に堪能できるのです。ややもするとモダン楽器の演奏は重たく鈍くなりがちなのですが、リリングはそれを極力軽減してオリジナル楽器流の透明感を保ちながらモダン楽器ならではの彫りの深い演奏を目指したことが伝わってきます。ちなみに第1幕を聴いた途端にあれよあれよという間に音楽にのめり込んでいく自分がいました……。
2枚組ということで音楽がコンパクトに収まり聴き易いメリットがある反面、曲の聴き所を切り捨てざるを得ないデメリットがあるため指揮者としてはなかなか難しい選択を迫られるところかもしれませんね。リリングは全曲をあえて演奏するより、集中力を切らさずに全曲を聴いてもらおうという意識に転換したのかもしれません。
ドラマを盛り上げる
抜群のキャスティング
キャスティングは全般的に優れていて、それぞれが「サウル」の人間ドラマを雄弁に表出していることに驚かされます!
特に素晴らしいのはサウルを歌うマルクス・アイヒェでしょう。アイヒェはヴァグナー歌手として最近注目を集めている人ですが、この「サウル」を聴けばそれも充分に納得していただけることでしょう。自己顕示欲が強いものの、嫉妬に狂い苦悩に沈むサウルの胸の内が伝わってくるようですし、その存在感のある声の響きは最高です。
ダヴィデを歌うダニエル・テイラーの気品のある声の美しさや知的で繊細な表現も役柄にピッタリですし、ミカル役のはキルステン・ブレイズも人間味ある美しい声で魅了してくれます。
キーポイントの合唱を担うシュトゥットガルト・ゲッヒンゲン聖歌隊は声のバランスや透明なハーモニーを重視するというよりは、それぞれのシーンにふさわしい性格描写や表現を第一に考えているようです。したがって第一幕の合唱は壮大なスケール感を表現しようとするあまり、時に力みを感じるように聞こえなくもありません。
しかし、第3幕でのサウルの死を悼む情感豊かな表現や新しい出発を誓う共感に満ちた祈りの表現は圧倒的に素晴らしく、合唱のエキスパートとしてオラトリオ、声楽曲で幾多の名演奏を残したリリングの音楽性の高さを痛感させられます。
結論としてリリングの演奏はなかなか素晴らしかったです。しかし古今東西のあらゆる演奏を含めて現時点で「サウル」の演奏はまだまだ極め尽くされていないということを実感いたしました。改めてこの曲に込められたヘンデルの深い意図と想いが伝わってくるようです!
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