2012年8月3日金曜日

グリーグ 組曲『ホルベアの時代から』

 
 
 
 
 


 以前、シプリアン・カツァリスの演奏するグリーグのピアノの演奏を採り上げたことがありました。その時、叙情小曲集の演奏の魅力について主に書いたのですが、併録された組曲「ホルベアの時代から」についてはあまり触れませんでした。少ししつこくなるかもしれませんが、ここでは「ホルベアの時代から」の演奏の魅力を掘り下げてみたいと思います。

 

 個人的な印象からするとこの組曲「ホルベアの時代から」は大変な名演奏だと思います。弾むようなリズム、抜群の間合いで生き生きと語りかけるフレージングの魅力。全体的に猛然と超スピードで展開しながらも音楽の楽しさ、喜びを微塵も失わない天性の音楽センス!本当にカツァリスの魅力が結集された稀有な演奏だと思います。

 

 おそらく、カツァリスはバッハやスカルラッティのようなバロックものを得意にしているので、バロック的な造型を持つこの作品との相性がいいのでしょう。

 それにしてもまったく迷いのないストレートな演奏は実に爽快で、いつのまにか曲にぐいぐい引き込まれていくのを実感するのです!フレッシュで曇りのない音色はそれだけでも曲の純度を導き出し、新たな魅力を引き出してくれるかのようです。


 作品はノルウェーの(同郷のベルゲン)作家ホルベアの生誕200周年を記念して作曲されたものでした。ホルベアは18世紀の初めから中頃にかけてデンマークで活躍した人で、時代でいうとほぼバロック文化全盛時代に該当するのです。したがって、サブタイトルにある「古い様式による組曲」とあるのはホルベルグが生きたバロック音楽の様式を借りたものなのです。

 曲の構成もプレリュード、サラバンド、ガボット等バロック音楽の様式に倣っているのがちょっとお洒落で気が利いていますね。グリーグの常々の音楽と違い、明晰な構成とリズミカルな曲調が印象的です。しかも随所に繊細な光と影の織りなすコントラストが心地良く響くのも、やはりグリーグならではでしょう!


 

 

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2012年7月27日金曜日

ドビュッシー 、音楽と美術 ー印象派と象徴派のあいだで


ドビュッシー生誕150年記念 創造の源泉を垣間見る


作者不詳[ショーソンとルロールのそばでピアノを弾くクロード・ドビュッシー、セーヌ=エ=マルヌにて]
1893年8月、水彩・紙、8.711cmオルセー美術館蔵






  この展覧会のタイトルからすると、もしかしたらドビュッシーの絵画的な作品を取りあげたミニコンサート(または音楽とのコラボ!?)と思われる方もいらっしゃるかもしれませんね。「ドビュッシー 、音楽と美術……」と画家の名前ではなく作曲家の名前がメインタイトルになる展覧会はあまり記憶がありません。
  先日この展覧会を東京・京橋のブリジストン美術館で見てきたのですが、ドビュッシーの人間性の一部が垣間見れたような気がしてなかなか面白かったですね。

  ドビュッシーが活躍した時代(19世紀後半から20世紀初頭)は、今までになく絵画や音楽が幸福な影響を及ぼしあった時代でした。ドビュッシーの代表作の「海」や「牧神の午後の前奏曲」、「夜想曲」、「版画」、「映像」は絵画的なイメージや空気感が繊細に綴られた作品であることは一聴すれば納得されるに違いありません!
  この展覧会は彼と関わりの深かった音楽家や画家、作家、作曲家の友人たちとの作品の創作へ発展するエピソードや資料が展示されており一種のドキュメンタリーを眺めているような感覚にとらわれました。
  彼が日本の調度品や北斎、広重の浮世絵を愛していたこともなるほどな……。ですし、画家のカンディンスキーやクレーが音楽に着想やインスピレーションを得たというところもなかなか興味深いところです。しかし、あの神秘的でオリジナリティあふれる音楽を生み出した創作の本質のポイントがどこにあったのかということはやはり絵や資料を見ながらもドビュッシーの個性、人間性の賜物としか言いようがないと結論づけるしかないのでした。

  美術館を出た時、無性にドビュッシーの音楽が聴きたくなったのは決して私一人ではないでしょう……。




ドビュッシー、音楽と美術──印象派と象徴派のあいだで

会場     ブリヂストン美術館 
       東京都中央区京橋1-10-1
会期     2012714日(土)~1014日(日)
入場料    一般=1,5001,300)円
       65歳以上=1,3001,100)円
       大高生=1,000800)円
       *( )内は前売/15人以上の団体料金
       *中学生以下は無料
       *障害者とその介護者2名は無料(要障害者手帳)
休館日    月曜日(ただし、7/169/1710/8は開館)
開館時間   10001800
       *入館は閉館の30分前まで
問い合わせ先 tel. 03-3563-0241
主催     オルセー美術館、オランジュリー美術館、石橋財団ブリヂストン美術館、
                       日本経済新聞社
公式サイト  http://debussy.exhn.jp/



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2012年7月22日日曜日

ベートーヴェン  ミサ・ソレムニス



 





ミサ曲の概念を
変えたミサ曲

 ミサ曲は古くから西洋音楽では特別なジャンルでした。「神との対話」を生活の根底に置き、カトリック的な伝統や精神と共に発展してきた西洋文化ではそれは自然の成り行きだったのです。それに対してカトリック的な精神にあまり触れることのない日本においてミサ曲は演奏頻度は高くなく、本質も決して理解されているとはいえません。とはいえ、本質を突いた演奏に出会えば良さを実感したり強く心が惹かれるのは間違いないのです!

 ミサ曲といえばバッハの「ミサ曲ロ短調」やジョスカン・デ・プレの「ミサ・パンジェ・リングァ」、ビクトリア「聖週間のレスポンソリウム集」、パレストリーナの「教皇マルチェリスのミサ」、ハイドンの「ネルソンミサ」、モーツァルトの「戴冠式ミサ」あたりがミサ曲の魅力をふんだんに持った名作であり最高峰といえるでしょう! 
しかし、それはあくまでもベートーヴェンのミサ・ソレムニスを別格とすればの話で、ミサ・ソレムニスを聴いてしまうと他の作品はすべて影が薄くなってしまいます。ベートーヴェンのミサ・ソレムニスに関する限り、他のミサ曲とはまったく別次元の作品といっていいでしょう!これは初めて世に現れた全人類的なミサ曲と言っても決して過言ではありません!

 ベートーヴェンは生涯、特定の教会の音楽監督やお抱えの作曲家になることはありませんでした。これは一定の枠や型にはまることを極端に嫌うベートーヴェンのことですから充分にうなずけることでしょう。


 大公に献呈する構想が
神の賛歌へと膨らむ

 敬虔なクリスチャンであり、カトリックの信仰を持っていたベートーヴェンでしたが、権威主義的で教理に縛られる教会の価値観にはかなり批判的であったようです。彼は形や典礼よりも心の奥底でしっかりと神を見つめていたのでした。「神は創造主」、「全知全能の親なる神」という言葉が甥や親友に宛てた数々の手紙でも伺い知ることができます。 ベートーヴェンにとって神は遠い存在ではなく、永遠に変わらない心の支えとして心の中や作品に生き続けたのでした。

 そんなベートーヴェンだからこそ、ミサ・ソレムニスのような普遍的で真実性に満ちたスケール雄大な作品を生み出すことができたのでしょう。ミサ・ソレムニスはベートーヴェンの個性が最大限に発揮された奇跡ともいうべき作品です。

 当初この作品は、親交のあったルドルフ大公の大司教即位式の献呈用として作曲されるはずでした。ところが作曲を進めるにつれて、彼の心の中でインスピレーションがどうしようもなく溢れて、構成は次第に大きく膨らんでいったのです。遂には即位式に間に合うことなく、実際に完成の日を迎えたのは即位式から5年もの歳月が経った時でした……。
 おそらくベートーヴェンはルネッサンス期やバロック音楽の大家たちが作曲したミサ曲の通念にとらわれないで、教会音楽という枠組みを超えた壮大な叙情詩を描きたかったのでしょう! そのような観点からも、ミサ・ソレムニスは音楽の性質としてはミサ曲というよりはオラトリオと言っていいのかもしれません。演奏が通常教会ではなく、一般の演奏会場で行なわれるのもこの作品の持つ性格や精神性を充分に物語っていますね!



強靭な魂と
神への熱い想いが
深遠な芸術を誕生させた

 この作品は、彼の強靭な魂と神への熱い想いがギリギリの鬩ぎ合いで具体化し、かつて類を見ない深遠な芸術を誕生させたと言っても過言ではありません。
 第1楽章キリエの冒頭から山の高峰を仰ぎ見るような堂々とした主題が展開されます! 壮大なオーケストレーションと確信に満ちた合唱の響きは音楽史上なかったものと言っていいでしょう。ひたすら心の告白と訴えを伝えようとする音楽への献身は、やがて神への敬虔な祈りや賛歌へと結晶化されていきます!

 『キリエ』 、『グローリア』、『クレド』、『サンクトゥス』、『アニュス・デュイ』のいずれも重要で、それぞれが有機的な繋がりを持って曲が構成されてており、その創作力と芸術的なポリシーには驚かされるばかりです。「どこが聴きどころか」という質問には簡単には答えられないほど曲の内容が深く、充実感は比類がありません!あえて印象に残る箇所をあげるとすれば、まず「in Gloria Dei Patris,Amen」に導かれるグローリア第6部の階段を確実に一歩一歩を踏みしめるような強靭なフーガの魅力。そして心からの訴えを歌に託すアニュス・デュイ前半の哀しみの表現あたりがあげられるでしょうか……。もちろん他にも聴きどころは満載です……。

 ミサ-ソレムニスを一貫しているのは一言でいえば巨大な精神でしょう。作為的な要素がないため、音楽性や形式の素晴らしさ以上に精神性の偉大さがひしひしと伝わってくるのです! この作品はまさに精神の勝利によってもたらされたものなのでした。

  ベートーヴェンにとって宗教曲は教会の礼拝堂における儀式とか、教義的なものという概念はあまりなかったのでしょう。ミサ-ソレムニスは後のミサ曲や宗教曲に対する考え方を一変させたばかりでなく、歌そのものに対する発想を根本的に変えさせた記念碑的な作品といってもいいのではないでしょうか。


 演奏はこれまで演奏会やCDのどちらも満足できる演奏はほとんどありませんでした。やはり集中力の持続やテンポ、合唱の難しさ、深い精神性の表出等に大変な難しさがあるからなのでしょう。唯一素晴らしいのがオットー・クレンペラーがフィルハーモニア管弦楽団とその合唱団を指揮したEMI盤で、これは空前絶後の名演奏と言ってもいいでしょう。テンポやスケール感も申し分なく、この曲に想い描かれるイメージを充分に表現し尽くした演奏です。




2012年7月14日土曜日

「大エルミタージュ美術館展 世紀の顔・西欧絵画の400年」を見て



時代とともに変遷する絵画の特徴。「大エルミタージュ美術館展」

ポール・セザンヌ 《カーテンのある静物》
1894頃-1895年 油彩・カンヴァス



先週、六本木の国立新美術館で開催されている「大エルミタージュ美術館展 世紀の顔・西欧絵画の400年」に遅ればせながら行ってきました。確かにこの展覧会はタイトルどおり西洋絵画の流れを大まかに俯瞰できる展示になっていました。ルネサンスから20世紀に至る絵画の変遷や傾向が作品を通じて感じとれるのは面白いと思います! 
バロック期頃までは肖像画が意外に多いのですが、写真の代わりという意味あいも強いのか全体的にリアリズムを追求し細密描写が多く安定した描法という印象が強いですね。

しかし、古典派、ロココ主義の時代あたりになると絵に作者のポリシーが強く反映されるようになります。理想であったり、華美な表情、色彩であったりと……。それが19世紀初頭からのロマン派になると絵に感情やドラマ、動きが注ぎ込まれ、思い切ったデフォルメも用いられるようになります。

でも何と言っても面白いのは19世紀後半から20世紀に至る印象派からシュールレアリズム、フォーヴィズム、キュービズム等の絵画の表現の多様化でしょう! このあたりから人間の眼に変わるカメラが普及し始めたり、映写機が登場したりするのですが、これによって人間の生活そのものが一変します。絵はもはや写実的な描写は必要としなくなっていたのでした。絵の概念や価値観が根本的に激変したのがこの頃だったのです。

さて、この展覧会ではレンブラントの「老婦人の肖像」、レイノルズの「ウェヌスの帯を解くクピド」、セザンヌの「カーテンの静物」、マティスの「赤い部屋(赤のハーモニー)」あたりが印象に残ったのですが、特に印象に残ったのがセザンヌの「カーテンの静物」の果物のただならぬ存在感になるかもしれません。

セザンヌは静物画を描く時に見た目の美しさや形にはほとんど目もくれず、その静物に内在する存在の真実に着目するといいますが…それにしてもこれは見事です! セザンヌの絵としては皿の上にある果物がリンゴなのか?オレンジなのか?そんなことはどうでもいいんです……。周辺のブルーと微妙に響きあいながら絵の核心の部分を形成しているオレンジ色の果物の神々しいほどの美しさは言葉になりません! 主役を支える布やカーテンんの絶妙の配置や形、重厚感もしっかりと絵に馴染んでいるのです。


2012年7月7日土曜日

映画『いわさきちひろ~27歳の旅立ち~』



いわさきちひろの知られざるエピソード


映画のポスター




いわさきちひろさんの生涯をドキュメンタリータッチで描いた映画『いわさきちひろ~27歳の旅立ち~』が7月18日から公開されるようです。いわさきさんといえば小学校の頃に教科書や教材、あらゆる絵本などでそのおびただしい作品にお目にかかったものでした。子どもを見つめる眼差しはとても暖かく優しさに満ちており、彼女の持ち味を最大限に伝える水彩画の嫌味のない画風は今でも忘れられません。

子どもをテーマにあらゆる絵本や挿絵を手がけた彼女ですが、とりわけ水彩のにじみやかすれの夢幻的で神秘的な美しさは印象に残ります。無邪気で愛らしい子どもの表情、屈託のないしぐさは大人でさえ童心にたち帰らせる無限の優しさがありました。

  時に心の動きを見つめるような子どもたちの世界…。しかも子どもたちの眼差しは清々しく純粋無垢でありながらすべてを見透かしているようにも思える…。「厳しい人生を生きたからこそ優しい絵を描き続けた」というこの映画のキャッチフレーズがありますが、外連味のない私小説や日記のような絵を書き続けられたのもいわさきちひろが心底平和と愛情の大切さというものを実感していたからなのでしょう! 

『いわさきちひろ~27歳の旅立ち~』はエグゼクティブプロデューサーとして映画監督の山田洋次、監督にNHKの数々の報道番組を手がけてきた海南友子の各氏が担当します。布陣から察する限り出来栄えの悪い映画になる要素は一つもなく、大いに期待が持てそうです。いわさきちひろの実像を理解することによって彼女の絵もより一層深く心に語りかけてくるのではないでしょうか。
公式サイト 

この映画の公開を前提に特集を組んだと思われる芸術新潮の7月号も素晴らしい内容とエピソードの数々で充実しています!



芸術新潮7月号特集より



2012年7月6日金曜日

録音が優秀! EMI SACD signatureシリーズ





 最近クラシック音楽のCDは再発売ものが主流になりつつあります。
 ざっと思いつくだけでもグラモフォン ザ・ベスト1200シリーズとかEMIベスト名盤とかDENONクラシックSACDシリーズ等々……。たくさんありますね。この現象は新譜録音にいいものが減ってきたことや、ネット上の音楽ダウンロードサービスが本格化し全体的にCDの価格破壊が進行していること等が主な理由としてあげられるのではないかと思います。そこで各レーベルは昨今のめまぐるしい録音技術の進歩に伴い、過去のそれぞれ所有している名演奏をその都度改良を加えながら発売しているという事なのでしょう。

 これまでにリリースされた主なハイブリッド録音形式をあげてもたくさんあったような気がします。たとえばART形式であったり、DSD、xrcd、DIGITAL K2、xrcd2、SBM、HS2088、4D Audio、96kHz 24-bit、OIBP、HDCD等々…。 しかし宣伝の割には今一つピンとくるものがありませんでした。LPを聴いたあの頃の柔らかい音や感動は一体なんだったのだろうかとか、録音の優れた演奏を聴き過ぎたために感覚がおかしくなってしまったのだろうかとか思うことしきりです。
 自分自身の感性が鈍ってきたのか、はたまた感動のフィルターが貧弱になってしまったのかよくわからないのですが、ともかく音の芯が細いというのか情報量が少ないのでは……と思うことが多いのです。

しかし、最近出たEMIクラシックスのSACDシリーズ(輸入盤の2枚組がメイン)には正直驚きました。それはEMI SACD signatureシリーズです!これまで籠った音質でどうにも歯切れの悪い録音のイメージが先行していたEMI盤を根底から覆すような素晴らしいリマスタリングの出来の良さは想像以上です!
 たとえばシューリヒト=ウィーンフィルのブルックナーの第九の音の素晴らしさ!今まで弦楽器の霧のような響きに見え隠れするように聴こえてきた第一楽章の冒頭のホルンの音色がこれほどくっきりと存在感をもって響いたたことはないのではないでしょうか? とにかく楽器の響きが柔らかく溶け合い、しかも金管や弦楽器が合奏してもキンキンすることなく本当に豊かで芸術的な音で堪能させてくれます。聴いた感じではLPのいい音の状態に近いような気がします。

リマスターや再発売ものの録音状態は制作に携わったエンジニアやディレクターの芸術的な感性が出来栄えにとても大きく左右するような気がします。そういう意味でも絶対に音に妥協して欲しくないし、どこまでもこだわりを持った良い商品を世に送り出してほしいですネ!


2012年6月27日水曜日

ラヴェル クープランの墓













 この曲を初めて聴いたのは学生の頃でした。ラジオから流れてきた管弦楽曲版の演奏だったのですが、ファゴットやオーボエ等の管楽器の奏でる古風な美しさもさることながら、決して声高にならない中庸を得た落ち着いた味わいや抜群のセンスにすっかり参ってしまったのです。
 最初のプレリュードが流れた時から、いつのまにかこの曲の虜になっている自分に気づきました。まるで穏やかな風が樹々の枝葉を揺らし、爽やかな光が古き良き時代の城壁を照らすかのような何とも言えない温もり感やさりげない曲の佇まいが印象に残ったものです。
 その時確信しました!「クープランの墓」はラヴェルの数々の管弦楽曲の中でも心地いい楽器の表情や抜群のニュアンスを持った稀に見る傑作だということを‥…。

 この曲にはピアノの原曲があり、そちらのほうには管弦楽曲にはないトッカータを含む2曲があり、特にトッカータはとんでもない名曲であることは後で知ったのでした…。そもそも、「クープランの墓」というタイトルは18世紀のフランスの大作曲家クープランを偲んで作られた作品ではなく、第一次世界大戦で戦火に散った友人たちの想い出に寄せて作られた組曲なのです。ではなぜ「クープランの墓」というタイトルがついたのかと言えば、この頃のラヴェルは18世紀前後の古典的なフランスの大家たちの音楽様式に回帰しつつ作曲をしたので、そこから18世紀のフランスの大家=クープランという名前が浮上したのです。

「クープランの墓」というタイトルからすればほとんどの人がしんみりしたイメージを想い浮かべるのでしょうが、この曲にはそのような固定観念が通用しません。「クープランの墓」は鎮魂歌というよりは自由な形式でさまざまなヴァリエーションや楽想が凝縮されているのです!とはいうものの「ラ・ヴァルス」や「スペイン狂詩曲」のような強烈な色彩感はありません。もちろんラヴェルならではの透明感や色彩感もしっかり備わっているのですが、それが決して表に出ることはないのです。変幻自在でありながらも静かなリリシズムを湛えたニュアンスや一貫した古典回帰の響きが、この作品にある種の風格をもたらしているのです!

 最初のプレリュードの装飾音は明らかにフランスバロックの時代の音楽技法を踏襲しており、確かにこのタイトルはそれにふさわしいようにも思われます。続くフーガやそれ以降の組曲も内容はラヴェル以外のなにものでもなく、楽器の表情といいバランスといい雰囲気豊かで色彩豊かなそれぞれの楽曲は真にインスピレーションに満ち溢れているのです!

 ところで、管弦楽曲版はピアノ原曲にあるフーガとトッカータの2曲が省かれています。さまざまな諸説がありますが、トッカータに関してはピアノでさえ超絶的な技巧を要するこの曲を再現するには限界があるだろうというラヴェルの見識なのかもしれません。

 このトッカータは故人を偲ぶ曲としてはあまりにも威勢が良すぎるとか、強烈すぎると想われる方もいらっしゃることでしょう! しかし、逆にラヴェルの構成力の凄さや本当の意味での秀でた感性と才能を改めて痛感させるフィナーレにもなったのです。
 とにかく、とめどなく溢れる音のエネルギーと弾けるようなリズムの突進力は圧倒的な高揚感と感動を与えてくれます!弾き進むにつれて16分音符の何気ない連打はみるみるうちにまばゆい光を発しながら大地に強く根ざした強固な音楽へと変貌していくことに気づかされるのです!ラヴェルは最後のトッカータで光が燦燦と輝くような充溢した生命力を謳歌することでこの曲を限りない前進や発展の象徴として閉じたかったのではないのでしょうか…。

 この曲に関してはピアノ版と管弦楽曲版の二つから推薦盤を挙げたいと思います。ピアノではまずモニク・アースが録音したエラート盤がおすすめです。全曲過不足無く、しかも曲の魅力を奇を衒わず、気品漂う演奏に仕上げていることに大変好感が持てます。これから「クープランの墓」を聴いていきたいという方には最適な演奏かも知れません。
 これに対してエリック・ハイドシェック盤は抜群の音楽性とダイナミズムで一気に駆け抜ける演奏です。しかし、よく聴くと一音一音に無限のニュアンスが込められており、その抜群のセンスに驚かされます。この演奏は何と言ってもトッカータの凄さに尽きるでしょう。まるでライブで弾いているかのような熱気溢れる緊張感と即興性は聴く者の心を捉えて離しません!トッカータを聴くだけでも充分に価値ある演奏と言っていいでしょう。

 管弦楽曲版はシャルル・デュトワ=モントリオール交響楽団のデッカ盤が大変に美しく、楽器の柔らかな表情やコクのある響きが心地よい雰囲気を醸し出しています。