2011年11月1日火曜日

ドラクロワ フレデリック・ショパンの肖像







ドラクロワと言えば、19世紀ロマン派を代表する画家であり、動きのあるドラマティックな絵、歴史画を描く画家として有名です。
彼は自画像、肖像画でも多くの傑作を残していますが、ここでご紹介するショパンの肖像は最も有名で優れた作品のひとつでしょう。

ショパンの繊細で、ドラマティックな音楽と既成概念を打ち破る革新的な芸術はドラクロワの個性ときっとよく似た何かがあったに違いありません。そのことがドラクロワの心にメラメラと創作欲を沸き立たせたのでしょう!作品そのものは未完成ということですが、絵としての存在感や生き生きとした筆致は圧倒的です!

一見気難しくデリケートに見えるショパンの表情の奥には優しさと気高さを両立させた顔立ちが覗いてみえます!それにしても何という凄い気迫と情熱が伝わってくる絵でしょうか⁉

この絵はもはや静止した肖像画ではありません。ドラマティックな表現が否応なく、ショパンの激しく感情豊かな個性をはっきりと浮き彫りにしているようにみえます!

「フレデリック・ショパンの肖像」はクラシック関連の本の作曲家プロフィール紹介で使われたり、ショパンの伝記で使われたり、その露出の度合いが他の写真や肖像画に比べると圧倒的に多いのは間違いありません。
メッセージ性に富んだこの表情、雰囲気、ただならぬ気配を感じさせるこの絵を見ると、他はどうしても弱く見えてしまうのは仕方がないことなのでしょう…。


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2011年10月29日土曜日

ヨハネス・ブラームス 交響曲第2番ニ長調作品73



ライブとは思えないジンマンのブラームス
Brahms Symphonies  David Zinman

 ブラームスはロマン派最大の作曲家で、4曲の交響曲はいずれも名曲として親しまれてきました。
 しかし、私はその中で交響曲第2番だけはどうしても進んで聴く気になれませんでした。それは第1楽章の田園的な情緒といわれるテーマや繰り返しがとても長く退屈に感じたからです。

 しかし、不思議なものでそのような欠点(自分でそう思いこんでいるだけかもしれませんが)を補う名演奏に出会うと、今までアバタのように見えた箇所もエクボのように見えたりするものです。そして、この曲の隠れた魅力を再発見できたうれしさにさえ変わってくるのです!

 もちろん、2番は間違いなく名曲です。力作の第1番と比べ、その違いに唖然とします。少しも力んでないし、大言壮語していないのに充実した響きと格調の高さが終始耳を引きつけます。晴れ渡った青空や自然の情緒を彷彿とさせる幸福感…!やはり聴けば聴くほどその味わいも確かに深まっていくのです。

 ブラームスの2番全体を貫いている魅力はクラリネット、ファゴット、フルート、オーボエ等の木管楽器が瞑想や可憐なメロディを奏でることでしょう。またチェロの重厚な響きも深い森を想わせ、木管楽器との鮮やかな対比や拡がりを印象づけるのです。

 特に第2楽章の癒しにも似た音楽は印象的です。晴れた日の午後のひととき…。丘の上に佇みながら、ぽっかりと浮かんだ雲の流れを見つめたり、心地良い風の流れに身を任せたり、小鳥のさえずりに微笑んだりと自然との対話が瞑想のように展開されます!
 第4楽章の舞曲風のテーマもパンチが効き、ワクワクするような胸の高まりとともに喜びを爆発させていきます!
 第3楽章プレストは室内楽のようなこじんまりとしたテーマに潜む小粋な遊びがたまらなく愉しく、いつものブラームスとは違う魅力を発見するのです。
 退屈だと言った第1楽章ですが、穏やかに流れる光や風、ぐんぐんと広がっていく自然の美しく優しい情緒はやはり大変な魅力です。

 さて、その名演奏ですが、デイビット・ジンマンが手兵のチューリヒ・トーンハレ管弦楽団を指揮した2010年のライブ録音が本当に素晴らしいです。この演奏はライブではあるものの1番から4番までの全曲が収録されており、ブラームスの交響曲全集として一挙に発売されました!

 正直なところ本当に驚きました。
 何が驚いたかというと、その抜群の録音の良さです。しかも、この録音の鮮明さはライブということを忘れさせてくれます。いや、ライブだからこそ、こんなに自然なニュアンスの音の収録が可能だったのかもしれません。
 弦楽器の柔らかくみずみずしい響き…。木管、金管楽器の透明感のある奥行きのある音。どれもこれも本当に良く録れており、まるでコンサートホールにいるかのような錯覚にとらわれます!

 前述した第2楽章の木管楽器の魅力は録音の素晴らしさによって随所に生きており、ブラームスはこの曲を愉しんで書いたことを強く感じさせてくれるのです。第1楽章も透明感あふれる音楽作りが功を奏し、聴く者は何の違和感も無く音楽の心と結ばれていくに違いありません。
 第3楽章の早めのテンポで一気に音楽を進めるセンスの良さと第4楽章の委細構わない大胆な造形と緊張感漲る表現も圧巻です!





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2011年10月25日火曜日

モーツァルト オペラ「魔笛」



Mozart: Die Zauberflote / Christie, Les Arts Florissants








いつも思うのですが、モーツァルトのオペラはことごとく序曲が良く書けています。「フィガロの結婚」然り、「ドン・ジョバンニ」然り、「コシファントウッテ」、「イドメネオ」、「皇帝ティートの慈悲」、どれもこれも充実した素晴らしい序曲ばかりです。独立した管弦楽曲としても充分に歴史に残る傑作揃いと言ってもいいでしょう!
しかも、モーツァルトの序曲はそれぞれの作品の性格や全体像が見事に集約されているので、すんなりと音楽劇に入っていきやすいのです!

 そんなモーツァルトのオペラの中で最も楽しく、親しみやすく、かつ味わい深い作品と言えば、「魔笛」があげられるのではないでしょうか。
 ちなみに「魔笛」の序曲は特に良く書けており、立派な体裁を持っているのですが、神秘的で透明感が漂い、しかも陰影に富んでいるのです。

魔笛は決してストーリーの展開を追うべきオペラではありません。ザラストロと夜の女王の善と悪が逆転したり、腑に落ちないラストを迎えたりと、真剣に話の展開を追っていくと間違いなく消化不良になってしまいます!ストーリーとしては支離滅裂と言ってもいいかもしれません。
モーツァルトはハチャメチャな脚本にハチャメチャな音楽を付けたのではと思われるかもしれません。しかし、決してそんなことはありません。彼の創作の姿勢、軸は実はまったくぶれていないのです!
ストーリー展開はハチャメチャでも、モーツァルトが作曲した音楽はキラキラとした音楽的な輝きやメルヘン的な要素を持ち、光と闇を暗示させる神秘的な要素を持つ等、不滅の光を放っているのです。


通常、オペラには様々な性格の登場人物がいて、様々な人生模様を描いていきます。その中で、非常に雄弁かつユニークでありながら本質的な人物像を描いて秀逸なのがモーツァルトのオペラなのです。

極端に言うと、「魔笛」はパパゲーノとパミーノ、夜の女王、この3人の配役がしっかりしていれば、演奏は半分以上は成功したも同然なのですが、逆にこの3人の表現に問題があれば上演自体がめちゃくちゃになってしまう可能性も大なのです。
それくらいこの3人の配役は「魔笛」の良し悪しを左右する絶対的な魅力を持ったキャラクターなのです!

つまり「魔笛」は「フィガロ」、「ドン・ジョバンニ」同様、さまざまな性格の人間像がユニークに描かれていて、とても面白く、演奏が良ければなお感動的な上演が可能ということになるでしょう!

「魔笛」の登場人物をざっとあげると次のようになるでしょう。タミーノはいわゆる最も常識人タイプのキャストでしょう。地位があるので、それは捨てられず、けれども人助けは人目があるのでやるというタイプなのです。

ザラストロは夜の女王の娘、パミーノを奪った張本人なのですが、なぜか劇中では人徳のある高僧として描かれていきます。ザラストロのメロディはそのような性格上、本音を表には出さず、終始修行や戒律を説くため、なだらかな音楽が滔々と流れていくのです。

それに対し、夜の女王は非常に刺激的です。憎しみに狂い、嘆き悲しんだり、とても激しく感情を爆発させます。しかし反面、愛情深く一途に我が子を想うところは共感できる何かがあるのです。オペラ史上、最もソプラノ泣かせの難曲が夜の女王のそれぞれのアリアではないでしょうか!次々に人間技を超えた高音階と音階の上下が感情込めてストレートに展開されます。 

鳥刺しのパパゲーノは天然の自由人で、何も考えていないようでありながら、お金や物に対する執着心がなく純粋で人間らしい一面を持っているのです。おそらく、モーツァルト自身のキャラクターに一番近いのがこのパパゲーノなのでしょう。

 このオペラのベストパフォーマンスはウィリアム・クリスティ指揮レザール・フロリサンとローザ・マニヨン, ナタリー・デセイ, ハンス=ペーター・ブロホヴィッツ, アントン・シャリンガー, ラインハルト・ハーゲン、その他の歌手による演奏でしょう。最高にしなやかで、音楽性あふれる演奏を繰り広げています。上記3人の歌も実にツボを得てるし、合唱の安定感と精緻さはこれまでに聴けなかったものです。
何と言ってもクリスティの創り出す音楽はほどよい高級感と無垢な味わいが魅力で、ファゴット、クラリネット、ピッコロ等の木管の飾り気がなくメルヘンチックな響きはまさに魔笛の世界そのものです。



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2011年10月17日月曜日

モーツァルト 交響曲第40番ト短調K.550




カザルス晩年の魂の記録




 モーツァルトの40番(交響曲)と言えば、クラシックにあまり関心のない方でも「ああ、あの曲か!」とすぐに頭にメロディが浮かんでくることと思います。
 おそらく、この曲ほど様々なジャンルの音楽に編曲され、愛され続けるクラシック音楽はないのではないでしょうか?もちろんそれは有名な第1楽章冒頭の第1主題のことなのですが、それは音楽があまりにもよくかけているからなのでしょう!第1楽章のみ極端に有名になってしまった感じはありますが、他の楽章も魅力満載で内容の濃い名曲中の名曲です。

 特に第2楽章の深さは並大抵ではありません。しっとりとした情感で進行する変ホ長長調の楽章ですが、晩年のモーツァルトの音楽に特有の澄みきった心境や諦観が色濃く流れているのです。また、中間部で現れる心の動揺を表わすようなリズムや調性は哀愁を帯びた音楽を更に豊かにしてやみません。
  いい知れぬ哀しみをいっぱい湛えながら「辛いこと、悲しいことはあまりにも多いけれど、きっとそれも人生なんだよね…」と無邪気に微笑むモーツァルトの姿が浮かんでくるようです。

 第3楽章の厳しく立体的に練り上げられた音楽の美しさも最高です。中間部の光が射し込むような明るい音色は哀しみに彩られたこの音楽の中にあって、一時の希望の道筋のようです。

 第4楽章の壮絶な音のドラマも凄く、中間部での立体的な音の拡がりは心の葛藤と戦いながら立ちあがっていくモーツァルトを彷彿とさせます。純音楽としての美しさも格別で、どこにも隙がなく無駄のない構成は聴く人の耳を捉えて離しません。

 この曲はパブロ・カザルスがマールボロ音楽祭管弦楽団を指揮した1968年のライブ録音が最高です‼古いライブですがステレオ録音で、充分に鑑賞に耐えうる良い音質です。この時、カザルスは既に90歳を超えていたというのですから、何と言う情熱、気迫でしょうか!
 演奏は第1楽章の冒頭から嵐のような壮絶な演奏が展開されます。あまりにも厳しく甘さの一切ない表現なので、もう少し歌うところがあってもと思ってしまいますが、ツボをしっかりと押さえたこの演奏はすこぶる格調が高く思わず身が引き締まる思いがします。第2楽章のしっとりとした哀愁美も抜群で、この楽章の意味を深い感情表現で解き明かしてくれます。第3、第4楽章も魂を鼓舞するような表現が圧倒的な感動を伝えてくれます。





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2011年10月11日火曜日

プラド美術館所蔵 ゴヤ 光と影


激動の時代を描いた天才画家・ゴヤ

着衣のマハ(1807〜1808、油彩/カンヴァス)


日傘(1777、油彩/カンヴァス)




16世紀のエル・グレコ、17世紀のベラスケス、18世紀のゴヤ、ムリーリョ、20世紀のピカソ、ミロ、ダリ…とスペインは各時代において比類なき天才たちを輩出してきました。今回、東京・上野の国立西洋美術館ではプラド美術館の貴重なコレクションから選りすぐったフランシスコ・デ・ゴヤ(1746-1828)の作品72点(油彩25点、素描40点、版画6点)が公開されます。 
ゴヤの作品は当時のスペインが置かれた時代背景が強く反映しています。カルロス4世の首席宮廷画家としての優雅な肖像画を数多く残した時代から、スペインがフランス軍の侵略により事実上ナポレオンの統治下に置かれた時代は民衆の悲惨な現実を描いた作品が多く残されました。
今回の展覧会では素描が約半数以上を占め、彼が創作の原点としてきたものは一体何だったのかを垣間みることが出来るかもしれません。




【プラド美術館所蔵 ゴヤ 光と影】
会  期:2011年10月22日(土)~2012年1月29日(日)
会  場:国立西洋美術館[東京・上野公園]
開館時間:午前9時30分~午後5時30分(毎週金曜日)午前9時30分~午後8時
              ※入館は閉館の30分前まで
休館日 :月曜日(*ただし、1月2日、9日は開館)、
              12月28日(水)-1月1日(日)、1月10日(火)
主  催:国立西洋美術館、国立プラド美術館、読売新聞社
後  援:外務省、スペイン大使館
観覧料金:当日:一般1,500円、大学生1,200円、高校生800円
              前売/団体:一般1,300円、大学生1,000円、高校生650円
              ※前売券の発売は2011年9月1日(木)から10月21日(金)まで。
              美術館では10月20日(木)まで販売。10月22日(土)からは当日券販売。
              ※美術館窓口以外の前売券販売場所は展覧会特設サイトをご確認ください。
              ※団体料金は20名以上。
              ※中学生以下は無料。
              ※12月20日~1月9日は高校生無料。
              ※心身に障害のある方および付添者1名は無料
              (入館の際に障害者手帳をご提示ください)


お問い合わせ:03-5777-8600(ハローダイヤル)

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2011年10月7日金曜日

イングマル・ベルイマン 野いちご



Smultronstället 1957


授与式前日の恐ろしい夢と
愛に飢え乾いた孤独な人生

  普段、私たちは時間に追われたり、日常の雑多な出来事に振り回されたりしています。でも自分自身を振り返ることはあまりないのではないでしょうか?

 あるいは、潜在的に自分自身をあまり振り返りたくないと思っているのかもしれません。でも誰もが人生の節目を迎えると「はた」と思い当たることだし、心の奥底では絶対に避けては通れないことなのだとはっきり自覚しているのです。

 「野いちご」の主役、老教授イサクもまさにそのような状況に立たされていたのでした。彼は医学名誉学位の授与式の前日に恐ろしい夢を見ます。その夢があまりにも恐ろしかったことから我に帰り、走馬灯のように屈折した様々な過去が蘇っていきます。

  イサクは医学の分野では大きな功績を積み、人からは一応尊敬されてきたけれど、実際は愛に飢え渇いた空虚で孤独な人生だった事を再認識するのです!ついには自分自身の人生を「それが一体何だというのか……。私の人生は人としてどれだけの意味があったのだろうか?」と、軽蔑したり後悔したりするのです。

 これはとても他人事とは思えないリアリティにあふれたテーマではないでしょうか。イサクの動揺や孤独は深刻なほどで、様々な名誉や称賛、肩書きも自分の死とともに、音を立てて崩れ去っていくのでは……。という虚無感が拡がっていくのです。それは夢と現実が交錯する様々な幻想的なシチュエーションによって更に効果的に描かれていくのです。

 しかし、この映画では今まで心に留めることさえなかった人々との出会いを通して、イサクが次第に心を解放し、心の空洞やわだかまりが埋められていきます。ベルイマン監督のその過程に至るまでの丹念な描写が本当に見事です!
 全編を通してこの映画は静かな語らいの中で進行します。音楽や映像上の誇張はほとんどありませんが、そんなことをすっかり忘れさせるほど映像は格調高く詩的な味わいに満ち、この老人の辿ってきた人生を意味深く回想していくのです。


人間の内面に光を照らした
奇跡のような作品

 過去、これほど哲学的なインスピレーションに貫かれた映画は見たことがありません。人間の内面に光を照らした作品としては際立って優れています。たとえば、1人の人間の心の動揺や孤独を様々なエピソードやシチュエーションによって描き出すストーリーは絶妙です。ベルイマンの本質をしっかりつかんで離さない演出や脚本も見事ですが、何といっても老教授イサクを演じたヴィクトル・シェストレムの演技は素晴らしく、どこまでが現実で、どこまでが演技なのか見分けがつかなくなるほど役柄に没入しています。

  過去、映画名作選10傑というような特集が雑誌で組まれると、この作品は必ずといっていいほど選ばれたものでした。でもその理由も分かる気がします。確かに映像で人間の心の内面を描くことは至難の技なのです。ともすればありきたりのつまらない作品になったり、何を言いたいのか分からない作品になりやすいのです。
 けれどもベルイマンの場合は人間の永遠のテーマである生と死、欺瞞、絶望、孤独、愛、安らぎ等を等身大で丁寧かつ大胆な手法を用いながら表現をしていくのです。

 最近、ハリウッドの映画が全体的に貧弱になってきています。観客動員数、興行収入もいいのですが、肝心の内容がいま一つだと、その時はよくても結果的には映画離れを促進させることにつながりかねません。「昔は昔、今は今」、「見たくなければ見なければいんだよ」と言われればそれまでですが、商業路線が顕著にあらわれすぎているように思えて仕方がありません。どうも映画そのものの重みがなくなってきたように思います。

 そういう意味でもこの「野いちご」をご覧になれば、半世紀前にはこんな芸術的な映画もあったのか!と認識を新たにされるのではないでしょうか。良質で、何年たっても感動的に心によみがえる映画の登場が今の時代には願われているのかもしれません。





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2011年10月1日土曜日

モーツァルト 交響曲第25番ト短調K.183







目が眩むような激しいシンコペーションのリズムで始まるモーツァルトの25番小ト短調。この交響曲を1度聴いたら誰もが強い衝撃と共感を受けることでしょう!ご存知のとおり、第1楽章は映画「アマデウス」に使用されてから一躍有名になりました。CMに使われたこともあり、どなたも一度は耳にされたことがあるのではないでしょうか。

この作品はモーツァルトがわずか17歳の時に書いた不朽の傑作です。こんなに凄い曲を10代の若さで書いた事も驚きですが、それ以上に凄いのは停滞する事なく一筆書きのように音楽を紡ぎ出す芸術的な感性の高さです。25番は徹頭徹尾、不要な音がなくキリッと引き締まった稀有な音楽なのです! 

たとえば、第1楽章冒頭の戦慄が走るテーマに驚く間も無く、次々に現れる不協和音と協和音のゆらめきが強く心を揺さぶります。第4楽章のフィナーレも第1楽章を上回るような心の嵐が吹き荒れます!第2、第3楽章の哀しみを宿命として受入れようとする健気な心も印象に残ります!

けれどもこんなに哀しく痛ましい音楽を書いてもやはりモーツァルトはモーツァルトなのです。忘れてはならないのがモーツァルトの純粋な魂の叫びでしょう!
彼の音楽はどんなに心に嵐が吹き荒れていようと、人の心に距離をつくりません。人を無下に突き放すことはないのです。彼の音楽は基本的には誰をも拒まず、人を信じ愛する気高い魂がいつも根底に流れているのです!これこそがモーツァルトの音楽が200年以上の時を超えて愛される所以なのでしょう。

演奏はブルーノ・ワルターの演奏が素晴らしいの一言に尽きます!この曲はブルーノ・ワルターにとって特別な曲だったようで、残された演奏は他の指揮者の演奏を大きく引き離しています。3種類のCD、コロンビア交響楽団(1954年)ニューヨークフィル(1956年)ウィーンフィル(1956年)はいずれも心技体すべて揃った素晴らしい演奏です。どれを選んでも間違いないでしょう!
コロンビア交響楽団盤はスタジオ録音なので最も聴きやすく、楷書風できっちりとしており、曲の全体像をつかむには一番適した演奏です。ウィーンフィルとニューヨークフィルの演奏はライブだけにさらに凄い集中力と魂のこもった演奏が聴かれます、テンポの動きも激しく疾風怒濤のようなすさまじい演奏が展開されます。ただ唯一残念なのがいずれもモノーラル録音しかないことです。




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