2011年10月7日金曜日

イングマル・ベルイマン 野いちご



Smultronstället 1957


授与式前日の恐ろしい夢と
愛に飢え乾いた孤独な人生

  普段、私たちは時間に追われたり、日常の雑多な出来事に振り回されたりしています。でも自分自身を振り返ることはあまりないのではないでしょうか?

 あるいは、潜在的に自分自身をあまり振り返りたくないと思っているのかもしれません。でも誰もが人生の節目を迎えると「はた」と思い当たることだし、心の奥底では絶対に避けては通れないことなのだとはっきり自覚しているのです。

 「野いちご」の主役、老教授イサクもまさにそのような状況に立たされていたのでした。彼は医学名誉学位の授与式の前日に恐ろしい夢を見ます。その夢があまりにも恐ろしかったことから我に帰り、走馬灯のように屈折した様々な過去が蘇っていきます。

  イサクは医学の分野では大きな功績を積み、人からは一応尊敬されてきたけれど、実際は愛に飢え渇いた空虚で孤独な人生だった事を再認識するのです!ついには自分自身の人生を「それが一体何だというのか……。私の人生は人としてどれだけの意味があったのだろうか?」と、軽蔑したり後悔したりするのです。

 これはとても他人事とは思えないリアリティにあふれたテーマではないでしょうか。イサクの動揺や孤独は深刻なほどで、様々な名誉や称賛、肩書きも自分の死とともに、音を立てて崩れ去っていくのでは……。という虚無感が拡がっていくのです。それは夢と現実が交錯する様々な幻想的なシチュエーションによって更に効果的に描かれていくのです。

 しかし、この映画では今まで心に留めることさえなかった人々との出会いを通して、イサクが次第に心を解放し、心の空洞やわだかまりが埋められていきます。ベルイマン監督のその過程に至るまでの丹念な描写が本当に見事です!
 全編を通してこの映画は静かな語らいの中で進行します。音楽や映像上の誇張はほとんどありませんが、そんなことをすっかり忘れさせるほど映像は格調高く詩的な味わいに満ち、この老人の辿ってきた人生を意味深く回想していくのです。


人間の内面に光を照らした
奇跡のような作品

 過去、これほど哲学的なインスピレーションに貫かれた映画は見たことがありません。人間の内面に光を照らした作品としては際立って優れています。たとえば、1人の人間の心の動揺や孤独を様々なエピソードやシチュエーションによって描き出すストーリーは絶妙です。ベルイマンの本質をしっかりつかんで離さない演出や脚本も見事ですが、何といっても老教授イサクを演じたヴィクトル・シェストレムの演技は素晴らしく、どこまでが現実で、どこまでが演技なのか見分けがつかなくなるほど役柄に没入しています。

  過去、映画名作選10傑というような特集が雑誌で組まれると、この作品は必ずといっていいほど選ばれたものでした。でもその理由も分かる気がします。確かに映像で人間の心の内面を描くことは至難の技なのです。ともすればありきたりのつまらない作品になったり、何を言いたいのか分からない作品になりやすいのです。
 けれどもベルイマンの場合は人間の永遠のテーマである生と死、欺瞞、絶望、孤独、愛、安らぎ等を等身大で丁寧かつ大胆な手法を用いながら表現をしていくのです。

 最近、ハリウッドの映画が全体的に貧弱になってきています。観客動員数、興行収入もいいのですが、肝心の内容がいま一つだと、その時はよくても結果的には映画離れを促進させることにつながりかねません。「昔は昔、今は今」、「見たくなければ見なければいんだよ」と言われればそれまでですが、商業路線が顕著にあらわれすぎているように思えて仕方がありません。どうも映画そのものの重みがなくなってきたように思います。

 そういう意味でもこの「野いちご」をご覧になれば、半世紀前にはこんな芸術的な映画もあったのか!と認識を新たにされるのではないでしょうか。良質で、何年たっても感動的に心によみがえる映画の登場が今の時代には願われているのかもしれません。





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