2010年7月15日木曜日

国立西洋美術館6



 国立西洋美術館の常設展の絵を紹介してまいりましたが、今回は松方コレクションの絵ではあるけれども、常設扱いではない(企画展の折に展示される絵を紹介したいと思います。
 5月の水彩画展でポール・シニャックの水彩画が展示されていました。シニャックの油絵は点描画で、非常に効果を狙った面白い作風だと思うのですが、この水彩画もまたなかなか面白い絵です。
 特に様式化された線と白いスペースをうまく利用した光と空気の表現が絶妙です。線や色彩のハーモニーも面白いですね!この絵を見ると、思わず自分も絵を描いてみたいと思わせる新鮮さがあるのです。水彩画を描いたことのある方ならご存知だと思いますが、さらりとしたしつこくない味わいこそが水彩の魅力だと思います。けれども、あまりにもあっさりしすぎると薄味のつまらない絵になる可能性が多分にあるのです。
 そこへいくと、このシニャックの絵はしっかりと自分の世界を構築しながら、爽やかな空間をつくっているのです。鉛筆のタッチも自由に描かれていますが、よく見ると雲やわずかに波立っている水の表情等に細かな性格付けがなされていることに気づかされます。このあたりがシニャックの芸の細かさでしょうか。



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2010年7月13日火曜日

エルガー チェロ協奏曲ホ短調 作品85






 イギリスの作曲家エルガーは愛の挨拶や威風堂々の作曲家として、良く知られています。これらの小品で聴ける愛想が良くフレンドリーな味わいは彼独特のものでしょう。しかも英国紳士然とした格調高い味わいは音楽家としての彼の評価を揺るぎないものにしているのです。
 しかし、彼の交響曲や協奏曲、声楽曲あたりになると意外と知られてないんですよね……。これが!?
 上記の小品と比べると、作品としてはかなり素晴らしいのに、どうも地味な雰囲気が強いのと、もうひとつ個性が乏しいために良さが伝わりきらないのかもしれません。何よりも曲の認知度がいまいち……。同年代のラヴェルやシベリウス、グリーグあたりがはるかにポピュラーで一般的な評価が高いのと比べると、かなりマイナーな感じが拭えないのは私だけではないと思います。
 
 しかし、そんなエルガーの大作の中でもチェロ協奏曲はかなり演奏頻度の高い作品です。最初にチェロで奏される、哀愁を帯びたモノローグはその後の作品の性格をイメージづける大変印象的な名旋律です。その後、手紙に落とした一滴のインクがじわじわと滲んで広がっていくように曲も深みを増して発展し、さまざまな味わいを与えてくれるのです。
 この作品はチェロが主旋律の重要な部分を担当しているので、1にも2にもチェロの演奏が良くないと話になりません。しかもチェロ奏者に歌心が無いと、演奏は空虚なものになってしまうでしょう。胸の痛みを抱えながらも、それを音楽として昇華させられるようなとびきりの歌心が要求されるのです。
   演奏はジャクリーヌ・デュプレがジョン・バルビローリ=ロンドン交響楽団と組んだ演奏が歌心、叙情性、劇的迫力等において圧倒的に優れています。エルガーがこの曲において語りたかったメッセージが余すところなく表現されていることには驚かされます。
  特にデュプレのチェロは哀愁の滲む旋律に対してこの上なく感情移入し、まるでむせび泣くかのように内面的なメッセージを目一杯伝えてくれます。しかも録音時、彼女は20代の前半だったということですが、とても信じられないことです。その音はすでに老境の成熟した精神性が漲る音となっているのです。エルガーの死後、30年の時を経て、デュプレのこのような名演奏によってこの作品の真価は定着したといっても過言ではありません。

2010年7月5日月曜日

ラヴェル 亡き王女のためのパヴァーヌ










 ラヴェルは管弦楽のスペシャリストとしばしば呼ばれます。そもそも、ムソルグスキーの代表作「展覧会の絵」も、ラヴェルのアレンジした管弦楽によって最高に愉しく生き生きした名作として蘇ったのです。
 ここで紹介する亡き王女のためのパヴァーヌは1899年の作品ですから、ラヴェルが個性を確立し、それが全開する前の作品ということになります。このわずか5分あまりの作品に託された美しい詩情や癒しの音は何と表現したらいいのでしょうか……。

 その美しさは透明水彩のにじみやかすれで浮かび上がるはかない夢のような情景を優雅に繊細に奏でていきます。後年の管弦楽作品やピアノ曲が有彩色の煌びやかな作品だとすれば、この作品は墨絵のように濃淡の微妙な変化で描かれた慎ましやかな作品といえると思います。
 この繊細さや単色で描かれる静謐な響きが日本人の心にも容易に受け入れられるのでしょう。
 この世には口ずさめる多くのクラシックの小品があります。この曲も当然、クラシックのスタンダードナンバーの一つに数えられるでしょう。ただ、この曲が他の有名な小品と決定的に違うのは、真似の出来ない独自の雰囲気や音彩を持っていることでしょう。

 この曲はジャン・マルティノン=シカゴ交響楽団の録音が、楽器を意味深く鳴らし、高雅な響きを引き出して魅了します。中間部のみずみずしくもはかない情感は何ともいえません。
 ピアノ版は宮沢明子の1975年のライブが素晴らしい出来ばえです。どこを誇張するというわけではないのですが、真摯に曲に向き合い、この曲の持つ美しさ、はかなさ等を余すところなく表現しています。
 このアルバムに収録されている曲はどれも最高の完成度を誇っております。特にドビュッシーの二つのアラベスクは自由で洗練された音のバリエーションが次々と表れ、抜群のニュアンスと共に、至福の時間を約束してくれます。ラモーやリュリも小品とは思えないくらい曲を愛し、確信を持って弾かれていることに気づかされます。

 宮沢さんは40年ほど前に家にあったレコードで、その存在を初めて知りました。当時、小学生になったばかりの私は宮沢さんが弾くヘンデルの「調子の良い鍛冶屋」やラモーの「めんどり」等の奥行きのある演奏に非常に感動した思い出があります。いわば、クラシックの素晴らしさに初めて目を開かせてくれた人だったのでした。





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2010年7月3日土曜日

国立西洋美術館常設展5




ギュスターヴ・クールベ 「波」1870年頃


  クールベはミレーやコローとほぼ同じ頃に活躍した画家の一人です。ミレーやコローが抒情派詩人だとしたら、クールベはリアリズム派職人ということになるのでしょう。ミレーやコローが甘美な夢や理想を描いたのに対し、クールベは迫力に満ちたリアリスティックな絵を描いたのです。
   この絵の説明はもはや不要でしょう。今まさに見る人に向かって打ち寄せる波は生きているかのように圧倒的な存在感を持って迫ってきます。クールベは海の色彩の美しさを描こうとはさらさら思っていません。彼は海の持つ底知れぬ恐ろしさや自然の偉大さのみを描きたかったのでしょう。またこの絵には無駄なモチーフがまったくありません。そのことが益々、波の荒々しさを際立たせるのだと思います。波が持つ特有の勢いや雄大さを余すところなく描き出した見事な作品といえるでしょう。

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2010年6月26日土曜日

ブラームス ピアノ協奏曲第2番変ロ長調作品83



 

 ブラームスのピアノ協奏曲第2番は協奏曲史上、屈指の名作であることは間違いありません。では、ブラームスの協奏曲はどこが凄いのかというと、管弦楽の強靭さと 抒情的な美しさが一体となっているところがあげられると思います。一般的に協奏曲というと、一つの楽器をメインにして主旋律を奏し、後は管弦楽がソロ楽器の引き立て役として伴奏につくというスタイルが通例になっています。

 しかし、ブラームスの場合はピアノ協奏曲にしても、ヴァイオリン協奏曲にしても、管弦楽は伴奏ではなく、あくまでも協奏ならぬ共奏なのです。 そのことがソリストにとって大変に弾きがいがあるところなのですが、絶えず極度の集中力が要求され、ソロ楽器というよりも最重要なパートを演奏するかのような難しさがあるのです。

 ピアノ協奏曲第2番ですが、これは円熟した表情と風格のある構成 が一体となった見事な作品です。第3楽章の長い前奏に彩られたメ ロディーは決して華美ではないものの、チェロやファゴットを中心に憂いを帯びた深い心の響きを伝えます。ピアノと管弦楽のかけあいの中で、心の嘆きや孤独、別離といったさまざまなシチュエーションを展開しながら盛り上がり、最後はしみじみと人生を回想するかのように曲を閉じます。

 第1楽章の朗々としたホルンの響きから始まる導入部分は、まるで夕映えの大地を感慨深く眺めているかのようで印象的です。それに続くパッセージもピアニストにとってまったく息が抜けない場面が連続し、曲も最高に充実したフレーズがめくるめく展開していきます。

 但し、第1楽章の強靭な意志の表示や第2楽章の立体的な造形、第3楽章の人生を回想するしっとりとした抒情と比べると、 フィナーレの肩の力をふっと抜いて、純粋に可憐に歌うメロディーは大変魅力的ではあるけれど、やや深みに欠ける気がしないでもないのです。

 演奏はデッカに録音されたバックハウスのピアノとカール・ベーム指揮ウィーンフィル盤が文句無しの素晴らしい演奏です。先ほどもお話しいたしましたようにこの曲は、ピアノと管弦楽のどちらかに比重が傾いても良くないのですが、この演奏は両者ともに、高次元なレベルで最高のバランスを保っています。しかも、お互いに一歩もひかず最高にドラマチックな演奏を繰り広げていくのです。ブラームスが伝えたかった強靭な魂や抒情的な美しさもこの演奏によってこそ、本当の意味が刻印されたといっても過言ではありません。







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2010年6月22日火曜日

モーツァルト 交響曲第35番「ハフナー」ニ長調K.385







底抜けに明るく、輝かしく若々しいスピリット

 皆さん、モーツァルトの交響曲として、真っ先に思い出される作品といえば何が浮かんできますか?おそらく多くの方は40番、41番「ジュピター」、25番あたりを挙げられることでしょう。逆に曲は有名だけれど、あまり印象に残らない曲といえば、意外と多くの方が交響曲35番「ハフナー」あたりを挙げられるのではないでしょうか。
 ハフナーは全体的に短い曲ですし、性格自体も祝典的な音楽のようで、今ひとつ心に深く沁みる…。というのとは違うようです。でも、底抜けに明るく、輝かしく若々しいスピリットを感じさせるこの作品は、いつでも悩める人に微笑みかけてくれる魅力作なのです。しかも、この曲はいくらでもデフォルメ可能ですし、聴く人を絶えず驚かせ、楽しませてくれる予感が期待できる音楽なのです。

 この曲には忘れられない演奏があります。カール・シューリヒトが1956年(ステレオ最初期)にウィーンフィルを指揮したものがそれです。大学生だった私は、バーンスタインの「リンツ」がいいという評判を聞きつけ、ぜひ聴いてみたいと思いカセットテープを購入しました。そのバーンスタインの「リンツ」のB面に入っていたのがシューリヒトの「ハフナー」だったのです。


忘れられないシューリヒトの演奏

 当時、シューリヒトの「ハフナー」はバーンスタインの演奏の付録くらいにしか考えていませんでした。最初に聴いたバーンスタインの演奏は案の定素晴らしく、メリハリが利き情感豊かな本当に魅力的な演奏でした。

  では、シューリヒトの「ハフナー」はどうかというと、第一楽章の最初から楽器のアンサンブルが微妙にずれ、「これって本当にスタジオ録音なの?」と思うくらい自由奔放で即興的な雰囲気に満ち満ちたものだったのです。しかし、曲が次第に盛り上がるにしたがって、楽器の響きは生き物のように多彩な表情を生み出し、刻々と表情が変化し、さまざまなニュアンスを高い芸術性と共に伝えてくれたのです。それはこれまでに聴いたことのない高い演奏芸術の究極的な姿のひとつでした。音楽を聴く喜びを素直に教え、再認識させてくれたのがこのシューリヒトの演奏だったのです。
 それからしばらくの間はすっかりシューリヒトの芸術の虜になり、彼の残したモーツァルト、ハイドン、シューマン、ベートーヴェン、ブルックナー等の演奏を次々と聴きました。息もつかせぬ表現をあっさりとやり遂げてしまうシューリヒトの凄さにしばらくの間、舌を巻き、大いに感動したものでした。








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2010年6月18日金曜日

ラフマニノフ 交響曲第2番ホ短調作品27




 ラフマニノフはメロディーメーカーとしてクラシックの作曲家の中では特別な存在と言えると思います。特に彼の代表作ピアノ協奏曲2番の旋律の美しさは格別で、旋律の美しさゆえにこの曲を愛するという方もきっと多いのではないでしょうか。


 その美しさも、甘く切なく、やるせない想いが描かれることが多いのです。いい意味で聴く人の心をかき乱すのです。ムード音楽のようで格調がないとか、底が浅いとか非難されることがありますが、でもこの甘く切ないムードをとってしまったら、ラフマニノフではなくなるでしょう。

 この独特のムードにロシアの広大な大地を思わせる郷愁が絡んだら…。きっと鬼に金棒でしょう。それを実現した曲が自身の交響曲第2番なのです。特に第3楽章アダージョはムード満点で、ロシアの広大な情景が眼の前に現れたかのような美しさです。この楽章は、漂うようなメロディーが郷愁を伴い、夢のような陶酔の時間を与えてくれるのです。その他の楽章も郷愁を伴う美しいメロディーが満載で、耳と心に最高の満足感をもたらしてくれます。

 この曲は、クルト・ザンデルリンクとフィルハーモニア管弦楽団が最高に美しい演奏を残しています。前述のアダージョも騒がず、華美にならず、情緒満点に息の長いフレーズを描き出しています。他の楽章も特別な演奏効果は狙っていないのですが、じんわりと心に響く深く豊かな響きを奏でています。





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