しかし、彼の交響曲や協奏曲、声楽曲あたりになると意外と知られてないんですよね……。これが!?
上記の小品と比べると、作品としてはかなり素晴らしいのに、どうも地味な雰囲気が強いのと、もうひとつ個性が乏しいために良さが伝わりきらないのかもしれません。何よりも曲の認知度がいまいち……。同年代のラヴェルやシベリウス、グリーグあたりがはるかにポピュラーで一般的な評価が高いのと比べると、かなりマイナーな感じが拭えないのは私だけではないと思います。
しかし、そんなエルガーの大作の中でもチェロ協奏曲はかなり演奏頻度の高い作品です。最初にチェロで奏される、哀愁を帯びたモノローグはその後の作品の性格をイメージづける大変印象的な名旋律です。その後、手紙に落とした一滴のインクがじわじわと滲んで広がっていくように曲も深みを増して発展し、さまざまな味わいを与えてくれるのです。
この作品はチェロが主旋律の重要な部分を担当しているので、1にも2にもチェロの演奏が良くないと話になりません。しかもチェロ奏者に歌心が無いと、演奏は空虚なものになってしまうでしょう。胸の痛みを抱えながらも、それを音楽として昇華させられるようなとびきりの歌心が要求されるのです。
演奏はジャクリーヌ・デュプレがジョン・バルビローリ=ロンドン交響楽団と組んだ演奏が歌心、叙情性、劇的迫力等において圧倒的に優れています。エルガーがこの曲において語りたかったメッセージが余すところなく表現されていることには驚かされます。
特にデュプレのチェロは哀愁の滲む旋律に対してこの上なく感情移入し、まるでむせび泣くかのように内面的なメッセージを目一杯伝えてくれます。しかも録音時、彼女は20代の前半だったということですが、とても信じられないことです。その音はすでに老境の成熟した精神性が漲る音となっているのです。エルガーの死後、30年の時を経て、デュプレのこのような名演奏によってこの作品の真価は定着したといっても過言ではありません。
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