2015年8月3日月曜日

ラウル・デュフィ 『クロード・ドビュッシーへのオマージュ』










センスあふれる色彩や線
自由な着想

 ラウル・デュフィの絵を見ると、いつも洗練された典雅な世界を感じます。

 彼の絵はいつも無味乾燥な日常に潤いを届けてくれますし、センスあふれる色彩や線、自由な着想はクリエイティブな感覚を刺激します。仮にそれがデザインや挿し絵として用いられたとしてもたぶん違和感なく、すんなりと媒体に溶けこむのでしょう……。
 いつも言うことですが、ボナールやマルケと同様にデュフィの絵を家の壁に飾ったら、どれほど部屋が明るくなることか……。

 堅苦しい表現を極力抑えた画風や感覚的な絵の特徴はそのまま彼の絵の魅力そのものなのです。 
 少なくともデュフィの絵にはユトリロやモディリアーニの絵に見られるような壮絶極まりない表現は似合いませんし、見当たりません。そのかわり何とも言えない五感を優しく刺激する色彩のハーモニーや柔らかな線のリズムが私たちを何とも言えない幸福感で満たしてくれるのです。

 『ドビュッシーへのオマージュ』は画家の晩年の作品ですが、絵がまったく枯れていません。それどころか形式にとらわれず、感性や閃きを具体化したような響きあう色彩のイメージは若々しい感性に満たされています。
 デュフィの絵をよく見ると形や線は色彩のイメージを引き出すための補助的な役割しか果たしていないことに気づかれることでしょう。なのに、柔らかくリズミカルなタッチで描かれた線は多くのことを語り、様々な表情を見せてくれるのです。




2015年7月26日日曜日

バート・ハワード 「Fly Me To The Moon」










多くの歌手たちが
カバーする永遠の
スタンダードナンバー


 「Fly me to the moon」は不思議な魅力を持った曲です。1954年にアメリカの作曲家バート・ハワードによって作られたジャズのスタンダードナンバーですが、歌詞も曲も気が利いているし、抜群の雰囲気と創造性にあふれているために様々なジャンルの音楽やアレンジに対応できるし、現在も盛んに歌われています。

 多くのアーティストがアルバムのカバー曲として挿入していることからも、いかにこの曲が支持され愛されているかを物語っていますね……。

 しかし、「月へ連れて行って」という意味を持つこの曲を歌手がどのように理解し受けとめるかによって曲のイメージはガラリと変わってきます。
 フランク・シナトラ、ジョニー・マティス、ジュリー・ロンドン……とあげればキリがないほど錚々たる顔ぶれが出てきますが、驚くほど解釈や歌い方が違います。それが名曲と言われるゆえんなのかもしれませんが……

 私が何度も聴きたいと思った録音は一つしかありません。1960年代に収録されたトニー・ベネットのものがそれです。
 トニー・ベネットは1960年代に「霧のサンフランシスコ」や「Who Can I turn to 等のムーディーな歌声で魅了してくれた大歌手ですが、彼は80歳をとうに超えた今も第一線で活躍するエンターティナーです。

 

憂いの想いが伝わる
バラード調のベネット

 さて、ベネットの「Fly me to the moonですが、これがやはり想像を絶する出来映えです。おそらく私が記憶する限り、最も心に深い余韻を残す歌であることは間違いありません。

 何よりバックのピアノやサックス、ストリングスとの絡みがベネットの歌とよくマッチしていて、ムードを盛り上げます。特にピアノをバックに口ずさむように歌う前奏の部分が、大人の心のゆとりを感じさせてセンス満点ですね!

 スローテンポのバラード調で歌い始めるのですが、少し哀愁を含んだ陰影のある声のトーンに魅了されてしまいます。ひとことひとことに強い主張があり、声に癖や歪みがないだけに、曲のテーマとする憂いの想いがストレートに伝わってくるのです。







2015年7月21日火曜日

ブラームス 交響曲第1番ハ短調作品68(2)























ブラームスの魅力が
ぎっしり詰まった傑作!

 ブラームスは交響曲を全部で4曲作っていますが、どれも精神的、技法的に手が込んだ力作、傑作揃いですね。中でも第1番はベートーヴェンを意識した作品だけあって、完成までに約20年の歳月を要した超力作で傑作です!

 重厚かつドラマチックな性格を持つ作品だけに有名な第1楽章の運命的な主題に思わず力が入り、第4楽章の勝利の凱歌に胸を熱くしたりしたものです。

 でも私がこの作品を愛するのは中間の第2、第3楽章の存在が大きいですね。あまのじゃくでも何でもなく、とにかくブラームスの交響曲の中ではこの2つの楽章がたまらなく好きなんです……。特に第3楽章グラツィオーソの空を駆け抜けるように自由で颯爽としていて、なおかつ心地よい風が吹く雰囲気は最高ですね! とにかく変な力が入ってなくて、ブラームスとしては異例の流れの良さと音楽的な充実感が最高なんですね! さわやかでありながら包容力にあふれていて魅力は尽きません。

 第2楽章もブラームスらしい陰影に満ちたテーマや叙情的な響きが満載です!他の楽章に比べると、随分と地味なイメージの強いこの楽章ですが、ブラームスらしい切なく美しい情感に満ちています。

 最初にファゴットや弦楽器で半音階進行に伴う主題が奏でられると、不安や孤独、傷心の想いをひきずりつつ、ためらうかのようにゆっくりと音楽は進行していきます。その味わいは深く、次第に希望的な色彩を帯びながら憧れの心を奏でていくのです。




ミュンシュの永遠の名盤をはじめ、
タイプの異なる名演奏

 シャルル・ミュンシュがパリ管弦楽団を指揮した1968年の録音(EMI)はほとばしるような情熱と気迫が刻み込まれたドラマチックな演奏ですが、やはりこの演奏は今でもブラームス1番の原点と言えるでしょう!
 私がお気に入りの第2、第3楽章も非常に味わい深く、この演奏があれば他は要らないといってもいいくらいです。


 これからブラームスを聴こうという人にピッタリなのがジュリーニがロスフィルを指揮した録音です。どこもかしこもバランスが良く、歌にあふれ、叙情的かつ格調高い響きが最高に心地いいです。やはり第2、第3楽章が秀逸ですね。ミュンシュのような壮絶な響きこそありませんが、1番に願われる響きがある意味最も理想的な形で表現された演奏かもしれません……。

 逆にチェリビダッケのCDはブラームスを聴きこんだ人にはきっと多くの示唆と感動を与えてくれることでしょう。呼吸が深く、テンポも非常にゆっくりのため抵抗を感じる人も多いでしょう。しかし曲の本質をピタリと捉えた造型や深い響きは何度聴いても飽きることがありません。第2楽章や第3楽章も相変わらずのスローテンポですが、それなのに音楽から伝わる情報量の多さといったらどうでしょう!
 ライブですが、音質も良好で細部の表情の美しさや楽器の奥行きある響きを満喫できます。




2015年7月13日月曜日

ベートーヴェン 交響曲第6番へ長調「田園」作品68(3)




























自然と人との
崇高な関係を描いた傑作

 自然はいつの時代も人間に有形無形の贈り物を届けてくれます。心に記憶を留めたり、感性を育んだりする上で自然は計り知れないほどの恩恵を与えてくれますし、自然と関わりを持たずに生きることは不可能でしょう。

 私たちは自然のあるがままの美しい姿を未来へつないでいく大切な責任があるのかもしれません。

 「人間と自然」……。
 切っても切り離せない永遠の関係を音楽として表現した作品は実は数えるほどしかありません。
 その一つは言うまでもなくベートーヴェンの交響曲第6番「田園lですね。改めて全曲を通して聴くと、こめられたメッセージの崇高さや懐の深さを痛感せずにはいられないのです。まさに汲めども尽きない泉のような作品こそ「田園lの魅力と言ってもいいでしょう。

 この曲の偉大なところは自然の美しい姿を描いたことではなく、自然と人との崇高な関係を描いたところにあります。
 ベートーヴェンは風や光、自然の情景や移ろう季節の様子に神の声を聴いたと彼自身の手記に記録していますが、「田園lはその言葉通り、神が与えてくれた豊かな自然の恵みを高らかに賛美し謳歌しているのです。

 それにしても何と叡智と感謝に満ち満ちた作品なのでしょうか!特に第2楽章や第5楽章フィナーレを貫いているテーマは自然と語らい、自然と一体になることの尊さを伝えるかのようです。大地は絶えず呼吸し、愛の光を放ち、私たちをすっぽりと包み込んでいることをベートーヴェンは音楽で言い尽くしているではありませんか。

 ブルックナーの8番や9番も聴くたびに新たな発見がありますが、この作品の愛に満ちたメッセージの数々は格別ですね……。



往年のマエストロたちが
残した名演奏

 「田園」は交響曲第3番「英雄」や第5番「運命」、第9番「合唱」のように激しく闘争的なテーマがないため、とかく安全運転をすれば何とかなると思われがちですが、それはとんでもない間違いです。演奏によって曲の魅力や本質が語りはじめたりする場合もあれば、失われたりするケースも少なくありません。とにかく油断できない作品なのです。

 演奏でまずお薦めしたいのは、カール・ベームがウィーンフィルを振った1976年の録音(グラモフォン)です。この作品の根底にある格調の高さを最も歪みなく表現しています。金管楽器、ティンパニ等の生々しい響きはもちろん、ウィーンフィルの持ち味である柔らかさに迫力を付け加えた充実度満点の演奏です。

 ブルーノ・ワルターがコロンビア交響楽団を振った1958年の演奏(CBS)はさわやかで個々の楽器の味わいを最大限に曲調に生かしたオーソドックスな名演奏です。雄弁で温もりのある響きを生み出しつつも重々しくならないところが素晴らしく、今後も田園のスタンダードナンバーであり続けることでしょう。

 ウィルヘルム・フルトヴェングラーが収録した1952年のウィーンフィルとのスタジオ録音(EMI)も忘れられません。特に第1楽章のスケール雄大で奥行きのある響きの凄さ! フルトヴェングラーは楽しいとか爽やかなイメージには決してとらわれていないのです。
 自分のスタイルを崩さず正攻法で押し通し、曲の本質を逸脱しないフルトヴェングラーの表現力には舌を巻きます。そのためあらゆる部分から瞑想や祈りが彷彿とされ、ベートーヴェンの音楽の懐の大きさを改めて実感するのです。

 セルジュ・チェリビダッケが指揮するミュンヘンフィルとの演奏(EMI)は超スローテンポの個性的な演奏です。しかし、「田園」の場合はそれが曲の持ち味とマッチしているため違和感がありません。フルトヴェングラーの時と同じように、曲の大きさがそれを救っているのですが、雰囲気も満点で楽器の響きの彫りの深さや奥行きのある表現が最高です。




2015年6月28日日曜日

ドビュッシー バラード(スラヴ風バラード)


















切なさと無邪気さが
同居する
詩的な作品


 ドビュッシーはショパンのピアノ作品に多大な影響を受けたようです。
後期の傑作「前奏曲」や「練習曲」はその最たるものですね。しかし、決して模倣にはなっておらず、その音楽はドビュッシーでしか書けないオリジナリティあふれる作品と言えるでしょう。

 さて、ドビュッシーは実はバラードも書いています。バラードと言ってもショパンのように主題がドラマチックに変化する音楽とはちょっと違います。
 これはドビュッシーが自分のスタイルを確立する以前の作品のため、ドビュッシーの音楽技法に馴染んでいる方にはちょっともの足らなく感じるかもしれませんね……
 しかし、他のピアノ音楽にはない詩的な情感やノスタルジックな曲調が素晴らしく、まるで絵本のショートストーリーを覗いたような優しい気持ちになるのです。

 普段、クラシック音楽を聴いたことがない人やドビュッシーの音楽は苦手だと思っている人にとっては案外この曲は耳にも心にも優しいかもしれませんね……

 冒頭の序奏の部分でピアノのおさらいのようにテーマのイメージを浮かび上がらせたり、繰り返す部分から始まるのですが、これがとても印象的です。そして、ちょっぴり哀愁が漂うテーマが奏されると、俄然、曲は切なさと無邪気さが同居する様々な情景の中をさまよい歩くようになるのです。

 これを聴くとドビュッシーという人は何てロマンチストで詩人なんだろう思わずにはいられません……



待望の演奏
ベロフの真摯な
音楽づくり


 この作品は小品であるのですが、演奏は大変に難しく、またドビュッシー独特のしっとりとした情感や繊細な詩情を出せるピアニストも意外に少ないため、なかなか録音には恵まれてきませんでした。

 そのような中で、ワルター・ギーゼキングが1955年に遺した演奏(EMIはピアノに心が乗り移ったかのような名演奏でしたが、録音が古くやや雰囲気に乏しいのが残念でした。

 しかし、ミシェル・ベロフがデジタル録音したCDDENONはそのような不満を見事に解消してくれました。ベロフは実にセンス満点な音楽づくりをしており、色彩豊かにこの曲を表現しています。それは時に発色のよい透明水彩のかすれやにじみのように多彩な表情を醸し出し酔わせてくれます。その繊細な音色の心にしみること……。何という演奏でしょうか。




2015年6月24日水曜日

フェルメール 「天文学者」









職人的な絵の完成度が
醸し出す感動

 今年開催されているルーブル美術館展(東京展は終了。現在、京都展を開催中~9月27日)でレンブラントの絵と同様に大きな話題を提供しているのが、ポスターやチラシにも使用されているフェルメールの「天文学者lでしょう。
 この絵は一時ナチスが所有していたという暗い過去もあり、そういった面でも話題を呼びましたが、絵は掛け値なしに名作中の名作です。

 フェルメールの絵を引き合いに出す時、必ずといっていいほど比較されるのが同じ時代、同じオランダ出身の画家として活躍したレンブラントでしょう。
 今さら言うまでもなく、レンブラント、フェルメール共に美術史に大きな足跡を残した巨匠ですが、二人の絵を見ると感動の質はかなり違います。何が違うのかというとレンブラントの絵が総じて精神的な広がりからくる感動であるのに比べ、フェルメールの絵は職人的な絵の完成度の高さが醸し出す感動なのです。

 フェルメールのそのような特徴はこの「天文学者」にも顕著に現れています。これはただただ上手いと唸るしかない絵といってもいいでしょう。絵全体を覆う柔らかい光や落ちついた色調に魅せられますし、静寂感漂う室内の空気は一体何と表現したらいいのでしょうか! まるで時の流れが止まってしまったかのような感覚が伝わってくるではありませんか……。

 それはフェルメール自身が心のフィルターでキャッチした原像を心の眼に忠実に描いた結果なのであり、モチーフの本質を深く認識することによって生まれる時間と空間の一致点でもあるのです。



2015年6月13日土曜日

エルガー ヴァイオリン協奏曲










隠れた名曲
エルガーのヴァイオリン協奏曲

 エルガーは19世紀後半から20世紀前半に活躍したイギリスの作曲家ですが、一般的によく知られているのは「愛の挨拶」や「威風堂々」などの比較的コンパクトにまとまった作品と言えるでしょう。その一方で2曲の交響曲やチェロ協奏曲、オラトリオ「ゲロンティアスの夢」などの熟成された音楽の充実度や魅力は格別で、すでに大作曲家の領域にあったと言っても過言ではありません。

 ヴァイオリン協奏曲はそのようなエルガー特有の雄弁な管弦楽と繊細な表情とが成熟した味わいとひとつとなった魅力あふれる傑作です。
 第1楽章の哀愁に満ちた濃厚なロマンは絶えず自分の内面を見つめる深さがあり、忘れられない印象を届けてくれます。第2楽章は牧歌的な主題を中心に繰り広げられる地味で渋い音楽なのですが、ヴァイオリンが奏でる懐かしい情緒と崇高な祈りが次第に心を満たしていきます。第3楽章の毅然とした管弦楽の響きとヴァイオリンの音色がぶつかりあう表情がアグレッシブな感動を巻き起こしていく様はどうでしょう!

 しかし、名曲チェロ協奏曲に似た曲調を持ち、充実した内容を誇るこの作品がチェロ協奏曲に比べるといまだにマイナーなイメージが拭えないのは何故なのでしょうか? それは3楽章構成の協奏曲としては異例の長さを持つ作品のため(通して演奏すると約45~50分位)、この作品に挑戦するヴァイオリニストが少なかったことが挙げられるでしょう。また、第1楽章に多々見られるように意外に超絶的な技巧を要する箇所が多いため、集中力を切らさず演奏するのが至難の業なのです。
 

ケネディとラトルが
魅せた名演奏!

 この作品は上記のような理由のため意外にレコーディングが少なく、往年のヴァイオリニストでもハイフェッツやメニューイン、イダ・ヘンデル以外にはめぼしい演奏がありませんでした。

 しかし、1997年に録音されたケネディ(ヴァイオリン)、サイモン・ラトル指揮バーミンガム市立交響楽団(EMI)の演奏はこれまでの不満を一気に吹き飛ばすような名演奏です。特にケネディのヴァイオリンの表情はこの曲にピッタリで、エルガーが表現しようとした感情の高まりや繊細な表情、ロマンチックな情感等があふれるように表現されています。ラトルの指揮もヴァイオリンをしっかりとサポートしつつエルガーの音楽を雄弁に打ち出しています!

 ケネディはこの曲を得意にしているらしく、1985年にもヴァーノン・ハンドリー指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団(EMI)と録音しています。こちらのほうもなかなかの名演奏ですが、やはり表現の幅が一枚も二枚も深みを増し、好サポートを得た1997年盤こそ最高の名演奏といえるでしょう!