2015年1月7日水曜日

「ホイッスラー展」








四半世紀ぶりの日本公開
「ホイッスラー展」

 ホイッスラーは19世紀イギリスとフランスを舞台に活躍した画家です。彼の名前は「ジャポニスム」を絵のスタイルに採り入れた画家ということで有名になっているようですが、決してそれだけではありません。西洋の画家には珍しいモノトーンに近い色彩と考え抜かれた構図、優れた描写力は日本人の感性にも強く訴えかけます!
 今回の「ホイッスラー展」は昨年の京都展に引き続いて開催されているもので、日本公開は四半世紀ぶりとのこと……。きっと様々な発見とホイッスラーの絵の素晴らしさを認識する展覧会になることでしょう。



展覧会概要

 ジェームズ・マクニール・ホイッスラー(18341903)は、アメリカ・マサチューセッツ州に生まれ、幼少期をロシアで過ごした後、1855年、21歳の時に画家になることを志しパリに渡りました。パリでは、シャルル・グレールのアトリエに通う一方で、ギュスターヴ・クールベと出会い、レアリスム(写実主義)に感銘を受けます。そのため、ホイッスラーの初期の油彩画やエッチングなどの主題の選択や表現には、クールベの影響が色濃く表れています。

 19世紀欧米の画壇において、最も影響力のあった画家の一人であるホイッスラーは、ロンドンとパリを主な拠点として活躍し、クロード・モネなど印象派の画家たちとも親交がありました。また、構図や画面空間、色彩の調和などに関して、日本美術からインスピレーションを得て独自のスタイルを確立したジャポニスムの画家として世界的に知られています。 ヴィクトリア朝の英国では、道徳主義を反映した、教訓的意味が含まれる絵画が隆盛を極めていましたが、ホイッスラーは、絵画は教訓を伝えるために存在するのではないと考え、「芸術のための芸術」を唱えた唯美主義を主導しました。

 音楽は音の詩であるように、絵画は視覚の詩である。 
そして、主題は音や色彩のハーモニーとは何のかかわりもないのである” 

 ホイッスラーはこう語り、1865年以降シンフォニーハーモニーノクターンといった音楽用語を用いて、絵画の主題性や物語性を否定しました。同時代の潮流である、レアリスム(写実主義)、ラファエル前派、古典主義、象徴主義、ジャポニスムなど、さまざまな要素を取り入れて、唯美主義者として独自のスタイルを確立し、同時代、そして次世代の芸術家たちに広く影響を与えました。

 本展は、新たな芸術誕生の牽引者となった、ジャポニスムの巨匠・ホイッスラーの全貌を紹介する、日本では四半世紀ぶりとなる大規模な回顧展です。(公式サイトより)



展覧会基本情報

会場    横浜美術館
      〒220-0012 神奈川県横浜市西区みなとみらい3丁目4-1 
      横浜ジャックモールウエスト棟 
会期    2014126日(土)~201531日(日)
休館日   木曜日 
開館時間  10時~18時(入館は1730分まで)
主催    横浜美術館、NHKNHKプロモーション
観覧料   一般1,500円(前売1,300円、団体1,400円)
      高校・大学生1,100円(前売900円、団体1,000円)
      中学生600円(前売400円、団体500円)
      小学生以下 無料
      ( )内は前売ならびに、有料20名様以上の団体料金(用事前予約)
      毎週土曜日は、高校生以下無料(要生徒手帳、学生証)
      障がい者手帳をお持ちの方と介護の方(1名)は無料
      観覧当日に限り「ホイッスラー展」の観覧券で
      横浜美術館コレクション展も観覧可
公式サイト http://www.jm-whistler.jp
 


2015年1月4日日曜日

モーツァルト ピアノ協奏曲第17番 ト長調 K.453












 新年あけましておめでとうございます。
 日頃、私のブログを訪問していただき、本当にありがとうございます! 昨年は更新頻度が少なく、皆様には何かとご迷惑をおかけしてしまったかもしれません…。 申し訳ありませんでした。^_^; 今年はできるだけ頻度を上げて参りたいと想っておりますので、なにとぞよろしくお願いいたします。





心に溶けこむ
モーツァルトのピアノ協奏曲

 モーツァルトのピアノ協奏曲って他の作曲家のピアノ協奏曲とは何かが違うと思ったことありませんか?
 たとえばベートーヴェンやブラームス、チャイコフスキーの協奏曲を聴く前には身構えたり、最後まで集中力を切らさずに聴けるだろうかと考えてしまいがちなのですが、少なくともモーツァルトのピアノ協奏曲にはそれがありません。つまり、曲の意味を考えたり、無理にイメージを浮かべたり……と「思考」の部分に気をとらわれずに音楽に浸ることができるのです。

 モーツァルトの音色にはパステルカラーのような無限の色調の変化があり、純粋無垢な輝きがあるため、聴く人の心にスーッと溶けこんでくるのですね。 このような変幻自在な表情は聴く人のイマジネーションを高めてくれますし、聴く人の心にぴったり寄り添った音楽といっていいでしょう。
 次々と現れるメロディやリズムに心が踊り、音楽を聴くだけで人を幸せにできる作曲家ってそうそういませんね。



虹のような幸福感が
全編を包む

 ピアノ協奏曲17番K.453はモーツァルトが心身共に充実していた頃に書かれた作品で、予備知識を持たないで聴いたとしても、たちまちメロディの楽しさや美しさに魅せられることでしょう。

 第1楽章冒頭は大らかで上機嫌、かつ爽やかな情緒が印象的で、ピアノの音色は穏やかな光や風を彷彿とさせます。ピアノと管弦楽の間も絶妙ですし、感性豊かに応える楽器の響きが最高で、曲が進むにつれて気持ちもどんどん晴れやかになっていくのを感じますね!

 第2楽章アンダンテも心の内面を映し出すような音楽で、様々な情景が浮かんでくるのです。
 ムクドリの鳴声を主題にした第3楽章はユーモアと人生の悲哀がさりげなく同居している感じで、この卓抜した感性はモーツァルト独特のものなのでしょう。第1楽章同様にピアノと管弦楽の掛け合いがセンス満点で、生き生きとした流れの中に無限の色彩が彩られ、虹のような幸福感が全編を包み込みます。


ペライアとグードの名演


 ペライアは1980年代にモーツァルトのピアノ協奏曲集を録音していますが、このK.453も名演のひとつです。自然な音の美しさや陰影に満ちた繊細な表現が最高です。モーツァルトのピアノ協奏曲に対する愛情がにじみ出ているのもうれしい限りですね。ちょっと残念なのは第3楽章のムクドリのテーマがリズムを弾ませようとするあまり、ちよっと固くなってしまったかな……と感じる程度でしょうか。

 グードのピアノは硬質で時折ベートーヴェンを想わせますが、演奏はあくまでも自然体で、有機的な流れの中に見事な音楽が展開されていきます。音色には深さやコクがあり何回聴いても飽きることはないでしょう。オルフェウス室内管弦楽団の演奏も柔軟で端正な響きが心地よく、その抜群の推進力に魅せられます。





2014年12月21日日曜日

ベートーヴェン 交響曲第9番ニ短調作品125














年末の定番となった
ベートーヴェン「第9」

 今年も残すところわずかになってしまいました。ついこの間、年が明けたと思ったのに気がついたらあっという間に年末になってしまい、容赦ない時の流れの早さに唖然としてしまいます。
 さて、年末というとクリスマスシーズンということで賑わってきますが、私にとってすぐに思い浮かぶのが今や年末の定番となったベートーヴェンの「第9」コンサートです。今年はN響は誰が振るのかとか、都響は大物指揮者が振るかも…という想いをめぐらすだけでも楽しくなってきます。

 それだけベートーヴェンの「第9」が日本人の生活に定着してきたと言えるのでしょうね。では「第9」はどれだけ曲の本質が理解されて聴かれているのでしょうか? 残念ながら、これだけ年末の風物詩として愛されるようになった今でも充分に理解されているとは言い難い状況なのです。

 ある人は「とにかく、あの歓喜の合唱が出てくるまで耐え忍びながら聴いているんだよ…」と洩らしたことがありました。また、ある人は「あのグロテスクで意味不明な主題をさんざん聴いた後に歓喜の合唱がひょいと出てくるととても感動的なんだ♪」とまでおっしゃる方もいらっしゃいます。「えっ⁉ 第九コンサートって鑑賞という名の修行なの?」と思わず言いたくなってしまうのですが…。

 おそらく、多くの人は第4楽章の歓喜の合唱が出てくるまで辛抱して聴いているというのが実情なのでしょう……。でもそれではあまりにももったいない話ではないでしょうか。何と言っても第9の最大の聴きどころは第1楽章や第3楽章にあるのですから。



古典派に決別!
ロマン派の扉を開く

 「第9」は第4楽章に合唱を置いたこと自体、当時としては非常に画期的なのですが、もっと驚くのは、第1楽章のはるか先の時代を見据えたような抽象的で神秘的な音楽の開始です!「ベートーヴェンは古典的な様式や枠組みとはきっぱりと決別してしまったのか…」と思わせるほど第8番までのスタイルとは大きく変わっていたのでした。この楽章が最初にあるため「第9は難しい」と敬遠される方も少なくないのではないかと思います。    

 第1楽章は何回聴いても凄い音楽です。初めてこの楽章を聴いた時、あまりのスケールの大きさと前衛的な主題や経過句の出現に消化不良になったのを思いだしますね…。あの中期の傑作、英雄交響曲や第5交響曲ですら古典的なソナタ形式が曲の構造としてしっかりと息づいていたのに、第9になるともはやそのような枠組みさえ取りはらわれているのです。

 私が第9を聴いたのはカラヤン=ベルリンフィルが最初でした。次にバーンスタイン=ニューヨークフィルだったと覚えているのですが、歓喜のコーラスで華々しく盛り上がる第4楽章以外は双方ともあまり印象に残っていません。特に第1楽章は二人の大物指揮者で聴いたのにチンプンカンプン……。結果的に私にとって第1楽章はますます遠いものになってしまいました。

 しかし、それからしばらくして難解だと思っていた「第9」のイメージを根底的に覆す出会いがやってきます。それが伝説的名演奏と評されるフルトヴェングラー=バイロイト祝祭室内管弦楽団のライブ録音(EMI)でした。第1楽章の冒頭からまるで別世界で音が鳴っているような苦渋に満ちた重々しい響きやスケール雄大な独特の雰囲気に圧倒され、一瞬にして私の心を鷲掴みにしたのです…。

 フルトヴェングラーの指揮はスコアの読みが深く音符に潜む感情を雄弁に音にしたもので、私にとって初めて第9の実像が強い感動を伴って伝わってきたのでした。この時ほど演奏芸樹の素晴らしさを痛感したことはなかったように思います。
 フルトヴェングラーの類稀な名演から、第1楽章は宇宙的な拡がりや偉容が根底にあり、その中で人間の苦悩や底知れぬ不安を体現した作品なのだと実感するに至ったのでした。



豊かな人間感情に満ちた
第3楽章

 第3楽章はゆっくりとした緩徐楽章(アダージョ・モルト・カンタービレ)ですが、何という愛に満ちた様々な心模様が充満していることでしょうか。回想や悔悟、逍遙、憧憬、様々な想いが心を駆け巡りつつ、音楽は途切れることなく流れていきます。ある時は人生を肯定する崇高な主題として現れ、ある時は人生の敗北や葛藤を匂わせる主題として忍び寄ってきます……。 たっぷりとした呼吸、間合い、有機的な響き等、バトンテクニックよりは人間性や精神的なゆとりが要求される音楽で、ある意味最も指揮が難しい楽章と言ってもいいかもしれません。
 ここは第1楽章とならんで、深さにおいては「第9」の頂点といっていいでしょう。



強い意志の力の終楽章

 そして究極の第4楽章! 冒頭の地の底から唸りをあげるような管楽器の凄まじい不協和音に驚きますが、それに毅然と応答するチェロやコントラバスの内なる声に強い意志の力を感じざるを得ません。その後も第1楽章のテーマ、第2楽章のテーマ、第3楽章のテーマが奏されますが、いずれもチェロやコントラバスが毅然と否定します。
 しかし、チェロとコントラバスが誇り高い歓喜のテーマを奏すると、それに同調するようにオーケストラも静かに高揚しつつ共に歓喜のテーマを歌っていくのです。ここは第九の最高に感動的な瞬間でもありますね…。

 日頃、当たり前のように口ずさんでいる歓喜の合唱ですが、実は発見と閃きに満ちていて、どこをとっても常識的な美しい声楽のバランスを求めた部分はありません。

 ベートーヴェンは音楽の美観や常識的な音楽上のルールを少々犠牲にしたとしても、精神性の高揚や有機的な音の響きを絶対的に優先させているのです。ベートーヴェンが合唱を採り入れた大きな理由も「人間の声こそが究極の表現」と考えたからなのでしょう。

 合唱に管弦楽を絡ませた終楽章はドラマチックで熱いエネルギーに満ちあふれていていますし、フィナーレに向かって変化し発展する様子はまるで宇宙の再創造を見るかのようです。



永遠の名盤
フルトヴェングラーのライブ

 演奏は前述しましたようにフルトヴェングラー=バイロイト祝祭室内管弦楽団が今なお名盤として燦然と輝いており、その芸術的価値はまったく薄れることがありません。半世紀以上が経過し、モノーラルで録音があまり良くないにもかかわらず、今でも演奏は他を大きく引き離しています。
 第9の本質を余すところなく伝えてくれたこの演奏にはただ感謝の言葉しかありません。これに肉薄する録音を探すとしたらやはりフルトヴェングラーが残したいくつかのライブ演奏盤ということになるでしょう…。
 フルトヴェングラー没後60年を経過した今、本当は最新デジタル録音でフルトヴェングラーの牙城に迫る演奏を聴きたいのですが、クラシック音楽界の現状をみる限り、この夢は当分かないそうにありません…。とても残念ですが、しばらくはフルトヴェングラーが遺した財産に耳を傾けるしかないようです。




2014年12月15日月曜日

ショパン  「 舟歌 嬰ヘ長調作品60」










ピアノの詩人の
成熟した傑作

 ふとした事で無性に聴きたくなる音楽ってありませんか? 私は憂鬱な気分の時にたびたび聴くのがショパンの「舟歌」です。この曲は自由な形式によるピアノの小品で、演奏時間もせいぜい9分ぐらいに収まります。しかも、ショパン特有の華麗な技巧が前に出過ぎることもなく、穏やかな情緒と巧みな曲の構成が成熟した味わいの中に溶け込んだ心憎い音楽なのです。

 ショパンはピアノの詩人とよくいわれますが、その代名詞はこの「舟歌」にこそふさわしいといっていいでしょう。センス満点の転調、明確な主題を持たない無窮動のような曲の展開は何度聴いても飽きませんし、エレガントで透明感に満ちた曲調は光や風を感じたりします。
 また、舟歌というタイトルどおり、小舟にゆらゆらと揺られているようなアルペジオの伴奏も大変に魅力的ですね! この伴奏はある時はさざなみや水面のきらめき、波紋の拡がりのように聴こえますし、ショパン自身が情景描写を人生の機微になぞらえている一面もあるため、心の起伏や哀愁を帯びたメッセージのようにも聴こえるのです。 
 しかし、あくまでも音楽は穏やかな晴れた午後のひとときのように日常的な営みの中で、何事もなかったかのように展開され終結していきます……。
 「舟歌」で特に素晴らしいのは一小節ごとに表情を巧みに変える転調の見事さでしょう! それが何の違和感もなく即興的に展開されるあたりにショパンの恐るべき才能を感じます。



ハイドシェックの
宇和島ライブの素晴らしさ!

 私がこの音楽を好んで聴くようになったのは、エリック・ハイドシェックが1991年に収録した愛媛県の宇和島ライブがあまりにも素晴らしかったためです。
 特にショパンだからという気負いもなく、「舟歌」という作品にまつわるイメージや既成概念に振り回されないで純粋に作品と向き合い、本質だけを表現した結果がこれだけの名演奏を生んだのでしょう…。

 とにかくセンス満点の即興的な転調や有機的な響きに驚きます。リズムや造形も曲が高揚していくにしたがって自然な流れで変化させるテクニックは最高ですし、音が明瞭で絶えず生き生きとしており、内声部の充実ぶりには圧倒されます!聴いているうちに爽やかな希望と深い余韻に心がいっぱいになります。


2014年12月8日月曜日

おすすめのクリスマス・アルバム




おすすめのクリスマス・アルバム

 もう12月になりました。今年もあとわずかですね…。さて今年最後を彩るビッグイベントと言えば「クリスマス」です! 街ではあちこちからクリスマスソングが流れていますが、今回は私が聴いたおすすめのクリスマスアルバムをご紹介いたしましょう。



【おすすめアルバム】
ペンタトニックス/ザッツ・クリスマス・トゥ・ミー
ザ・マンハッタントランスファー/アカペラクリスマス
キャスリーン・バトル/クリスマスを歌う-きよしこの夜
カーペンターズ/クリスマス・ポートレート
ジュリー・アンドリュース/Greatest Christmas Songs 

 


ペンタトニックス  
ザッツ・クリスマス・トゥ・ミー(2014)
 特に素敵なのが、ペンタトニックスの「ザッツ・クリスマス・トゥ・ミー」です。
これは現代風のクールでアップテンポな面白さやこれまでにない斬新かつ新鮮なアプローチが満喫できるアルバムです!このアルバムは決して勢いだけではありません。
 5人の確かなボーカルやセンス抜群のアレンジ、コンビネーションの見事さ、それぞれのナンバーの完成度の高さが相まった優れ物です。アルバムを聴く限り、これからもますますジャンルを超えた幅広い層に支持されるグループとして活躍するのは間違いないでしょう!
 どれもこれも聴いていて楽しく、いつの間にか曲に引き込まれていきますが、特に「荒野の果てに」や「キャロル・オブ・ザ・ベルズ」、「メアリー、ディッド・ユー・ノウ?」は印象的ですね。
 なお、日本限定版では2013年に全米初登場7位を記録したクリスマスEP『PTXmas (Deluxe Edition)』と山下達郎の「クリスマス・イブ」もカバーされています。







日本限定版





ザ・マンハッタントランスファー 
アカペラクリスマス(2004)
 マンファッタントランスファーの「アカペラクリスマス」は実力派ジャズグループとして40年以上のキャリアと実績を持つ彼らが本気でアカペラに取り組んだ作品です。何と言っても安心して曲を堪能できるし、彼らの作るハーモニーの魅力とゆとり、大人の風格に酔わされっ放しです!







キャスリーン・バトル
クリスマスを歌う-きよしこの夜(1989)
 なぜかクラシック系の歌手にいいものが少ないクリスマスアルバム。その中でバトル盤は天性の音楽性と情感の豊かさで傑出しています。
 何より類稀な美声とピアニッシモの美しさは天下一品…。しかも発声に無理がないため、聴く人は自然な呼吸のリズムで音楽を味わうことができます。至福の時間を与えてくれる名盤です。
クリスマスを歌う-きよしこの夜





カーペンターズ
クリスマス・ポートレート (1978)
 ポップス系アーティストとしては最高レベルの出来栄えと言っても過言ではありません。まずカレンの澄んだ声と明瞭な発音に癒されます…。その雰囲気がクリスマスにピッタリだし、聴いていてとても安心なのです。
 忘れてならないのが、リチャードの編曲の素晴らしさでしょう!カレンの歌との相性も抜群、雰囲気満点で、聴く楽しさが何倍にも増している感じです。夢とファンタジーいっぱいの家族で楽しめるアルバムです!
クリスマス・ポートレート








ジュリー・アンドリュース
Greatest Christmas Songs
 主に1960年代の録音で構成されています。正調なクリスマスアルバムの典型と言えるでしょう。かなり難度の高い賛美歌からの選曲もありますが、そこは銀幕や舞台の歌姫!充分な歌心と美しい声でしっとりと聴かせてくれます。
 心洗われる貴重なアルバムと言えるでしょう…。








2014年12月3日水曜日

レンブラント 「放蕩息子の帰還」











年々深刻さを増す
親子関係

 最近、家庭の崩壊がよく話題になりますが、それと同様に深刻なのが親子の断絶です。2000年以降、急速に親子関係が希薄になっているという話もよく聞きます。
 親子同士なのに会話がまったくなかったり、互いが互いを無視したり、子どもが親を親として認めていなかったりとか……、このような心が通わない親子が急増しているというのです。親というものは代われるものではありませんから、一度関係がこじれると修復が難しい泥沼状態になることが多く、第三者が立ち入れない敵対関係に発展したりする問題もあるようですね。

 でもよく考えると、本来は「親子の絆」ほど美しく麗しい関係はないでしょう。あえて申し上げるならば人間が地上に生を受けてから体験できる最も深く尊い関係と言ってもいいかもしれません。もちろん仲の良い夫婦や兄弟、親友との絆も深い関係であることに間違いないのでしょうが、やはり親子の絆は別格と言ってもいいのではないでしょうか……。
 「親子の絆」……。それは子どもや親が何を願い、何を考えているのかを無意識のうちに感知し、理解し受けとめる関係なのです。 そして、それはもはや言葉が必要のない世界なのです。 

 

感動的な「放蕩息子」の
エピソード

 「親子の絆」、「親子の情愛」を描いた絵画作品は過去にたくさんありました。でも表面的な描写であったり、演出がかった構図やテーマであったりとか、どうももうひとつピンとくるものがありませんでした。しかし例外的に鑑賞に堪えうる素晴らしい作品がありました! レンブラントが晩年に描いた「放蕩息子の帰還」です。

 レンブラントが活躍したバロック絵画の時代は宗教画や歴史画が頻繁に描かれ、もてはやされた時代でした。レンブラントも当然のように宗教画、歴史画をたくさん描いていますが、この「放蕩息子の帰還」はただの宗教画ではありません。史実を演出効果たっぷりに描いた宗教画とは明らかに一線を画しているのです。何が違うのかというと、この絵では絵柄や構図、技法はもはや問題ではなく、絵そのものが史実を超えた崇高な感情、真実のエピソードとして語りかけてくるのです。

 この絵は新約聖書、ルカによる福音書15章の「放蕩息子」のエピソードがテーマになっています。
 話の要旨は以下のとおりです。
 父から財産を等しく分け与えられた二人の兄弟がいました。長男は家業を継ぎ熱心に仕事をしていましたが、次男は家出をして放蕩三昧をしたあげくに財産を潰し、乞食のような食うや食わずの生活をしていました。ある日、このままではどうにもならないと観念した次男は実家へまい戻る決心をします。
 この時の次男の心中は深刻そのものでした。「もう父には会ってもらえないだろうし、おそらく親子の縁も切られだろう」などと覚悟していたのです……。しかし、父の態度はまったく予想していなかったものでした。
 親子の縁を切るどころか、息子が久々に帰ってきたことを心から喜び、飼っていた子牛で祝宴をあげようと言うのです。
『さあ、早く、最上の着物を出してきてこの子に着せ、指輪を手にはめ、はきものを足にはかせなさい。 また、肥えた子牛を引いてきてほふりなさい。食べて楽しもうではないか。 このむすこが死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから』(ルカによる福音書15章)

思いがけない父の赦しと大きな愛に触れた次男は改心し、ただただ父の懐で嗚咽するしかなかったのでした……。



「親子の絆」を崇高に描いた
レンブラント晩年の傑作

  レンブラントの「放蕩息子の帰還」はそのような決死の想いで帰郷した息子が父の懐に抱かれる瞬間を描いたものです。
 親子はここに至るまでにどれほど多くの紆余曲折を味わってきたのでしょうか……。身勝手に家を出て、苦しくなって戻ってきた弟に対して、どうにも納得できない表情を浮かべる兄や雇人たちの気持ちも充分に理解できます。しかし、父と息子にとってそんなことはもうどうでもよかったのです。この瞬間、二人は純粋に“親子”として心を通わせ、感動の再会を果たしているのです。

 生気がなく憔悴しきった息子の顔、衣服はボロボロで足裏には無数の傷があり、惨めな姿を晒しているのですが、それでも心おきなく親の懐に身を寄せる子の表情からは最高に満ち足りた様子や安堵感が伝わってきます。大きな手のひらで子を強く抱き寄せる父親の慈愛に満ちた表情……。レンブラントの深遠な表現は二人の劇的な再会をこれ以上ないくらい見るものの心に強く訴えかけるのです。

 親子の愛は「無償の愛」だとも言われますが、レンブラントの絵を眺めていると、「言葉を超えた愛こそが最も貴い」と教えられているような気がします。
 バロック絵画を代表する巨匠と言われ、光と闇を絶妙のコントラストと精神性で描ききったレンブラント……。
 この絵でも光と闇が覆う空間構成は冴えわたっており、スポットライトに照らし出されるような親子の抱擁は深い輝きに満ちた色彩と筆触によって見る人を別世界に誘います。

 「放蕩息子の帰還」もそうですが、晩年のレンブラントの絵は中期(「夜警」で見せたようなドラマチックな光と闇のコントラスト)の絵に比べると劇的な効果において一歩譲るかもしれません。しかし筆のタッチには人々の心の機微を映し出す深い息づかいや温もりが感じられ、可能な限り彫琢された美しい色彩がさらに人々の崇高な魂や人生の哀感を伝えてやまないのです! 丹念に描かれた手の表情、肌の色味や微妙な陰影、何気ないしぐさからはその人物が辿ってきた内面の世界が伝わってきますし、人々の奥行きのある美しい表情には溜息が出るばかりです。
 いつまでも感動を共有し、その余韻に浸っていたいと思わせる数少ない名画といっていいでしょう。



2014年11月18日火曜日

レハール ワルツ「金と銀」







愛らしいメロディと
可憐な響きで心がいっぱいに

 レハールが作曲した「金と銀」。このワルツ、どこかで聴いたことありませんか? かつては小学校の音楽の教科書に鑑賞曲として紹介され、多くの人たちに愛されていた曲でした。この曲を聴くと、古き良き時代の懐かしい香りが甦ってきますし、愛らしいメロディで心がいっぱいになります……。
 その名のとおり、キラキラと輝くような旋律やエレガントな気品が魅力のワルツですが、それだけではありません。大らかで情感あふれる曲調や御伽の国に遊ぶような雰囲気が夢のようなひとときを届けてくれるのです。

 オペレッタやミュージカルの始まりのように颯爽とした装飾音の提示で序奏が開始され、ハープのカデンツァ、ピッコロの経過句と続き、可憐な第2ワルツの後半の主題が出てくると……そこはもう「金と銀」の世界でいっぱいになります! その後の第1ワルツ、第2ワルツ、第3ワルツと続くあふれるようなメロディと見事な転調に胸はワクワクしますし、一気に心が童心に戻っていくような気がいたします。

 レハールはよほど楽器の扱い方に精通していたのでしょうか、グロッケンシュピールやタムタム、ハープ、木管楽器、それぞれが生き生きとした表情で微笑んでるではありませんか。 特に印象的なのが、哀愁に彩られた第2ワルツとそれを受ける後半の愛らしいワルツの対比です。本当に見事としか言いようがありません!
 


ケンペの理想的な名演  

 この曲はなかなか名盤に恵まれませんね……。ウインナーワルツだからとか短い曲だからとか、またレハールの曲ということで、もしかしたら軽く見られているところがあるのかもしれません。音楽はとても魅力的なのに、演奏がサラリと流すような感じだとやはり感動とはほど遠いものになってしまうでしょう。

 しかし唯一といっていいほど、この曲を大まじめに生き生きと演奏してくれる人がいました! それがルドルフ・ケンペです。
 「金と銀」はウィンナ・ワルツ・コンサートと題するアルバムの中に納められているのですが、ケンペ指揮シュターツカペレ・ドレスデン(DENON)の演奏さえあれば他はいらないといってもいいかもしれません! 何よりも軽く流す演奏にしていないところがいいですし、全編に楽器の表情が生き生きしています。
 したたるような弦楽器の魅力、エレガントな雰囲気、深い呼吸、絶妙なリズム、楽器のメリハリ等、どれをとっても理想的で、この一曲だけでもケンペの名前は永遠に記憶されるのではないかと思います。

 実際ケンペはこの曲を得意にしていて、ウイーンフィルと入れた録音もありますし、実演でもよくとりあげたという話を聞きます。やはり曲に大きな愛情を抱いているということは演奏家にとって必要不可欠条件なのでしょう。