新年あけましておめでとうございます。
日頃、私のブログを訪問していただき、本当にありがとうございます! 昨年は更新頻度が少なく、皆様には何かとご迷惑をおかけしてしまったかもしれません…。 申し訳ありませんでした。^_^; 今年はできるだけ頻度を上げて参りたいと想っておりますので、なにとぞよろしくお願いいたします。
心に溶けこむ
モーツァルトのピアノ協奏曲
モーツァルトのピアノ協奏曲って他の作曲家のピアノ協奏曲とは何かが違うと思ったことありませんか?
たとえばベートーヴェンやブラームス、チャイコフスキーの協奏曲を聴く前には身構えたり、最後まで集中力を切らさずに聴けるだろうかと考えてしまいがちなのですが、少なくともモーツァルトのピアノ協奏曲にはそれがありません。つまり、曲の意味を考えたり、無理にイメージを浮かべたり……と「思考」の部分に気をとらわれずに音楽に浸ることができるのです。
モーツァルトの音色にはパステルカラーのような無限の色調の変化があり、純粋無垢な輝きがあるため、聴く人の心にスーッと溶けこんでくるのですね。 このような変幻自在な表情は聴く人のイマジネーションを高めてくれますし、聴く人の心にぴったり寄り添った音楽といっていいでしょう。
次々と現れるメロディやリズムに心が踊り、音楽を聴くだけで人を幸せにできる作曲家ってそうそういませんね。
虹のような幸福感が
全編を包む
ピアノ協奏曲17番K.453はモーツァルトが心身共に充実していた頃に書かれた作品で、予備知識を持たないで聴いたとしても、たちまちメロディの楽しさや美しさに魅せられることでしょう。
第1楽章冒頭は大らかで上機嫌、かつ爽やかな情緒が印象的で、ピアノの音色は穏やかな光や風を彷彿とさせます。ピアノと管弦楽の間も絶妙ですし、感性豊かに応える楽器の響きが最高で、曲が進むにつれて気持ちもどんどん晴れやかになっていくのを感じますね!
第2楽章アンダンテも心の内面を映し出すような音楽で、様々な情景が浮かんでくるのです。
ムクドリの鳴声を主題にした第3楽章はユーモアと人生の悲哀がさりげなく同居している感じで、この卓抜した感性はモーツァルト独特のものなのでしょう。第1楽章同様にピアノと管弦楽の掛け合いがセンス満点で、生き生きとした流れの中に無限の色彩が彩られ、虹のような幸福感が全編を包み込みます。
ペライアとグードの名演
演奏はマレイ・ペライアのピアノと指揮、イギリス室内管弦楽団の演奏(CBS)とリチャード・グードのピアノと指揮、オルフェウス室内管弦楽団(Nonesuch)の2枚が素晴らしい出来栄えです。
ペライアは1980年代にモーツァルトのピアノ協奏曲集を録音していますが、このK.453も名演のひとつです。自然な音の美しさや陰影に満ちた繊細な表現が最高です。モーツァルトのピアノ協奏曲に対する愛情がにじみ出ているのもうれしい限りですね。ちょっと残念なのは第3楽章のムクドリのテーマがリズムを弾ませようとするあまり、ちよっと固くなってしまったかな……と感じる程度でしょうか。
グードのピアノは硬質で時折ベートーヴェンを想わせますが、演奏はあくまでも自然体で、有機的な流れの中に見事な音楽が展開されていきます。音色には深さやコクがあり何回聴いても飽きることはないでしょう。オルフェウス室内管弦楽団の演奏も柔軟で端正な響きが心地よく、その抜群の推進力に魅せられます。
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