2012年5月25日金曜日

ヘンデル ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ集









 ヘンデルはオラトリオ「サウル」や「エフタ」、「ユダス・マカベウス」のように劇的でスケール雄大な作品を得意としていますが、一方で典雅で優美な作品も得意としておりました。ヘンデルのヴァイオリンソナタはその代表的な例といえるでしょう。彼の作品としては柔和な表情が曲調によく反映されており、その明晰で静謐な味わいは他の作曲家の作品ではなかなか聴くことができません。
 この作品集はヴァイオリニストの練習用としてもよく弾かれますが、もちろんそれだけの作品ではありません。古典的なヴァイオリン作品のスタンダードとして、今もヴァイオリン曲の重要なレパートリーとしてその位置を確固たるものにしているのです。演奏は概して高貴に格調高く演奏されることが多いのですが、今では速めのテンポでスタイリッシュに大胆に演奏されることも珍しくありません。 

 この作品は余分な飾りや誇張が少なく、シンプルで1音1音の持つ意味が大きいために演奏によっては魅力的にもなり、つまらない演奏にもなりやすいのです。本当の意味で弾く人のセンスや音楽性が要求される作品がこのヘンデルのヴァイオリンソナタと言っていいでしょう。
 楽譜どおりに演奏するだけでは静謐で優美な魅力を充分に発揮できない可能性が高い作品なのです。つまり呼吸であったり、音の響かせ方であったり、フレージングのとりかたであったり、そのような感情豊かな表現をしてくれる演奏こそがこの作品の価値と魅力を際立たせることは間違いありません!

 そのような中でミッシャ・エルマンがヴァイオリンを担当したCDはおそらく輸入盤限定で、今は廃盤になってしまったのでしょうが、とても味わい深い演奏です。間違いなく古い時代のスタイルの演奏で、ボルタメントを多用しテンポも一定ではなく、かなり情緒豊かに歌う演奏です。おそらくこんな演奏をする人は今の時代は皆無といっていいでしょう。このような演奏を好む人は好みますが、嫌いという人は徹底的に嫌うかもしれません。しかし、一言でこの演奏を「古い!」と決めつけてしまうにはあまりにも勿体無い魅力に溢れた演奏なのです!
  なぜなら、現代のメカニカルなくらいテクニック万能主義の時代にあって、手づくりのような懐かしさや温かさを与えてくれる稀有な演奏だからです。

 録音は1950年のモノラルですが、意外に状態が良く充分に鑑賞に耐えうる範囲内です。何といっても甘く切なく歌うエルマンのヴァイオリンの響きが最高で、その表現に途轍もない歌心を感じるのです!特にHWV373のアダージョは涙なくして聴けぬほど曲に没入しており、超スローテンポで奏でられるヴァイオリンの響きは深い内心の声を伝えるかのようです。

 他の作品、楽章もエルマンの演奏を聴いて初めて曲の隠れた魅力に気づかされることも多く、改めて手際良くスタイリッシュに片付けられた演奏との違いをまざまざと実感するのです。そうはいっても、このエルマンの演奏はすべての人におすすめ出来る演奏ではありません。
 そこで万人向きの演奏となるとグリュミオースークあたりになるでしょう。
 グリュミオーは彼持ち味の美音が最大に生かされた演奏で、モーツァルトを想わせる典雅な味わいは流れるような旋律の魅惑を感じます。スークのCDは一番安心して聴ける演奏かもしれません。すべてに心のこもった柔らかな表情がそれぞれの曲を堪能させてくれます。


2012年5月17日木曜日

J.S.バッハ 平均律クラヴィーア曲集第1巻(BWV846~869










 バッハの平均律クラヴィーア曲集はバッハのクラヴィーア作品で最も重要な作品で、無限のイマジネーションと真摯な宗教性が融合した不朽の傑作です!

 19世紀の高名な音楽家のハンス・フォン・ビューローは「ベートーヴェンのピアノソナタ集をピアノの新約聖書だとしたら、バッハの平均律クラヴィーア曲集は旧約聖書だ」とたとえて賞賛しました。また「無人島にたった1枚だけクラシック音楽のCDを持って行くとしたら、何を持って行く?」という質問に多くの人はこの曲を選ぶと言います。つまり、それほどこの曲には豊かな音楽のエッセンスが充満しているということなのでしょう!

 バッハはフランス組曲、イギリス組曲、パルティータ、インヴェンションとシンフォニア等のクラヴィーアのための傑作をたくさん残しました。どちらかと言えばこれらの作品は娯楽性が強く、リズムや音色の多様な変化で面白さを追求した感じなのですが、平均律はずっと奥が深く、森羅万象の響きや音楽の原点に立ち返るような真摯な祈りが満ちあふれているのです。

 12平均律に新たな可能性を追求した功績と意欲はもちろん見逃せません。しかし、何よりもこの作品全体に満ちあふれているのはバッハの音楽への深い愛情なのです。
 「平均律クラヴィール曲集第1巻」は神の秩序をうつしとった、小さな完成された「世界」(ミクロコスモス)、音楽の小宇宙などと形容されることもある作品です。それぞれのプレリュードとフーガは24のすべて異なる調によって書かれ、ハ音を主音として開始し、長調と短調の曲を交互に配置しながら半音階ずつで上行を繰り返しロ短調で終結する組み合わせで構成されており、そこから驚くほど豊かな精神世界をつむぎ出していくのです! 


 宇宙や自然界の日常的な営みの中にあるキラキラと輝く諸々の感情! それはバッハの心のメッセージであり、心の四季のような各曲がさまざまな表情を映し出す鏡となっているのです。バッハはそれらの感情や心の機微を最高のインスピレーションで再現しています。
 たとえば、水面が刻一刻と装いを変えるように紡ぎ出される有名な第1曲ハ長調のプレリュード、夜空の星の清澄な輝きを想わせる第7曲変ホ長調のプレリュード、牧歌的な雰囲気が平和な瞬間を彷彿とさせる第17曲変イ長調のフーガ、また悲痛な哀しみを彩る深遠な第4曲ハ短調のフーガ等がそれらの代表的な例でしょう。
 そしてこれら24曲の心の四季には、絶えず神聖な余韻や静寂が流れ、至福の時を約束してくれるのです。全編を通じ、何と人間の心のさまざまな情感や祈りが結晶化されていることでしょうか!

 演奏は予想通り難しく、CDで大体満足できる演奏はいくつか存在するものの、現在のところこれといった決定盤はありません。

 タチアナ・ニコラエーワの演奏は日本でのライブ録音です。録音がいいところが魅力です。平均律にまつわるイメージを決して壊さず、しかも深い精神性に裏打ちされた音楽が随所で鳴り響き、優しい語らいやチャーミングな表情も兼ね備えた安心して聴ける演奏と言っていいでしょう!
 特に詩情豊かな各曲のフーガは抜群の呼吸と立体的な造形でとても味わい深く、その音楽性の高さに思わず酔わされます。

 グールドの演奏はどこをとっても常識的な表情はなく、最初はとまどうかもしれません。しかし個性的でありながら、本質をしっかり見据え、生き生きとした表情を曲に与えたグールドのアプローチは実に爽快です! 表現は一瞬たりとも曖昧になることがなく、聴く者はグールドの世界にぐいぐい引き込まれる事になるでしょう! 長調のプレリュードであってもどことなく寂寥感を伝える彼の表現は独特で、他のピアニストからは絶対聴けないものです。ただし表現自体は偉大なのですが、作品が本来求めている演奏なのかはまた別の問題と言えそうです。


 エフゲニー・ザラフィアンツの演奏は正規の推薦盤としてはお勧めできませんが、発想の面白さと演奏のあまりの素晴らしさにどうしても採り上げたくなりました。
 ザラフィアンツは個々のプレリュードそのものに完結性を見出し、(フーガはすべて省いている)曲集の各巻に収められた同じ調のプレリュードを一対の組としてとらえたのです。CDでは、第1巻と第2巻から同じ調のプレリュードを12曲ずつ選び、計24曲を収録しています。こういう考え方もあったのかという意外性に新鮮な驚きを感じます! そして何より素晴らしいのはゆったりとしたテンポで際限なく情感豊かに歌われる演奏です。情報量も多く、今まで認識されなかった繊細な響きや情緒が浮かび上がってくるところに改めてこの作品の潜在的な偉大さを実感します!
 
 このCDを聴く限り、ザラフィアンツには今後是非とも平均律の全曲集をレコーディングしてほしいと願うばかりです……。


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2012年5月11日金曜日

ルーヴル – DNP ミュージアムラボ



新しいスタイルの芸術体験



 ミュージアムラボは、パリのルーヴル美術館とDNP(大日本印刷)による共同プロジェクトとしてスタートした、一歩踏み込んだ新しい時代の絵画鑑賞を提案するアートスペースです。
 ここはマルチメディアコンテンツにより、さまざまな切り口からルーヴル美術館の作品をじっくり鑑賞する展示をしているところがユニークで新鮮ですね! 
 たとえば、普通の展覧会ではその人の感性や知識で絵を見る場合がほとんどですが、ミュージアムラボでは実際に絵をシュミレーションしたり、絵の空間に入ってみたり、情報を引き出したり……。と五感をフルに活用して絵を観察する体験ができます! その結果、生きた絵の鑑賞体験が絵を見る面白さを引き出してくれるのではないでしょうか! こんな見方もあるのかと思われる方も多いでしょう。
 ただし観覧される場合はスケジュールと予約の空き状況の確認が必要です。 このミュージアムラボは開館時間が限られています。平日は金曜日の夜(18:00~21:00)と土、日(10:00~18:00)のみの開館です。また予約が必要ですので、くれぐれもご注意を!予約はホームページから可能です。


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 美術鑑賞は、ただ作品に視線を向けるというだけではなく、見る、知る、感じる、考えるというプロセスを通して視点を豊かしにし、想像力と感受性をもってその意味を読み解く行為です。
 見る人にさまざまな発見や刺激、感動をもたらし、新しい視点をひらく体験。この、人と作品との間にコミュニケーションが立ち上がるような豊かな関係こそが、ミュージアムラボがかなえたい美術鑑賞のかたちです。 
 ミュージアムラボは以下のテーマを探求し活動の中に活かすことによって、人と作品がより豊かに関係を取り結ぶ手助けをしていきたいと考えています。 

ミュージアムラボの3つの探求テーマ

1.見る
意識を持って目の前の作品を見る力を、来館者自らが育てていく学びの仕組みを開発します。

2.知る
作品のよりよい理解を助ける、伝えたい知識の内容にふさわしい情報提供のあり方を探求します。

3.感じる
作品を鑑賞する楽しさが実感として残るような体験の設計と、その体験がその後の美術鑑賞に活かされていく方法論を提案します。(公式サイトより)


2012年5月8日火曜日

「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」庄司紗矢香のショスタコーヴィチ




心からの共感を持って弾かれた庄司紗矢香のショスタコーヴィチ


今年発売された庄司紗矢香のショスタコーヴィチヴァイオリン協奏曲1番、2番のCD


 先日、有楽町の国際フォーラムで開催されていたラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャパン「熱狂の日」コンサートに行ってきました! このコンサートのいいところは普段着で気軽に出かけられるという事や低料金で良質のコンサートが楽しめるところではないでしょうか。

今年のイベントも前々から気にはなっていたものの、とかくゴールデンウイーク期間だけあって人、人、人で無料コンサートはもちろん、有料コンサートも立錐の余地がないのでは……!?というイメージが頭の中を駆け巡りなかなか足が向きませんでした。

 ところがイベントも2日目に突入した5月4日の午後になってから、無性にこのコンサートに行きたくなってしまったのです。そこでいろいろ調べた結果、4日のプログラムの中に19時45分からショスタコーヴィチ・ヴァイオリン協奏曲第1番の演奏があるという文字を発見したのです。 しかも、ヴァイオリンが庄司紗矢香さんだというではないですか!「これは是非聴きに行くしかない!」と直感的に思ったものの電話受付は既に終了……。 やはり諦めるしかないかなと思いながら、ダメもとでチケットぴあの購入サイトを見たら、何と空席があるではありませんか! もちろん喜び勇んで当日券を購入したのでした。
庄司さんと言えば、先日、この曲を同じ指揮者、オーケストラでCDリリースをしたばかりで、その自信の程が伺えるようです。


   この曲は交響曲のような重厚感と楽章ごとに変化に富んだ表情が連続するため簡単な曲でないことは間違いありません。後日、改めて作品紹介で詳述したいと思いますが、気の抜けない難曲です。 独奏者は猛烈な集中力と造形感覚、曲の真実を掘り起こす洞察力、表現力といったさまざまな内容が要求されるのです! そういう意味でも次々とやってくる哲学的で情念的な思索の絡みを庄司さんがどう表現するのか、とても楽しみでした! 

   第1楽章は抑制の利いた静かに語りかける奏法が印象的でした。不安や焦燥に駆られ半音階を上下動するような独特の旋律を決して騒ぎ立てず、深い瞑想のように描き出す表現力には驚かされました。第2楽章も鋭いリズムのアタックや気分の変化を見事に表していきます。
けれども何と言っても素晴らしかったのは第3楽章でしょう!深い悲しみに彩られた鎮魂歌のような美しいパッサカリアを庄司さんは心からの共感を持って弾いてくれました。その感動ははかり知れず、この曲の持つ奥行きを充分に実感させてくれる演奏だったのです。またその後の長大なカデンツァも深く、音の存在感があり素晴らしい! 切れ目なく続く弟4楽章のフィナーレはエネルギーを放射するような確信に満ち、自在な演奏に思わず引き込まれました。

テクニック云々ではなく、真剣に音楽に向き合っている庄司さんの姿に演奏家としての大切な何かを見せられた気がします。今後も演奏家としてさらに円熟していくことは間違いないでしょうし、音楽界にはなくてはならない存在になる日も遠くないかもしれません!



2012年5月3日木曜日

ブルックナー 交響曲第8番ハ短調




ブルックナーの演奏を手中に収めたシューリヒトの名演





最近この曲は演奏会のプログラムに組まれることがとても多いようです。交響曲の定番として一躍人気を博してきた感じですね! 人気の理由として弦楽器はもちろんのこと、金管楽器、木管楽器が大活躍して、さまざまなシーンで印象的な旋律を奏でることが大きいし、それによって曲に豊かな表情を与えられることがあげられるでしょう。特に金管楽器は弦楽器と同等かそれ以上の存在感を示しており、骨太で強靭な曲の構造、宇宙的な意志の表出等の性格付けに大きく貢献しているのです。

もちろん聴き所も多く、聴き手は長い曲にもかかわらず最後まで集中力を切らさず堪能できるのは魅力的なフレーズや響きが有機的につながっているからなのです。
ブルックナーの8番は彼が全曲を完成させた最後の交響曲で、未完成の9番のような孤高の魂や抽象的な深化こそありませんが、曲の内容、充実度、精神性、オリジナリティ、そのどれをとってもブルックナー、いや交響曲史上最高の作品と言ってもいいかもしれません。

なんと言っても驚くのはブルックナーの日常的なモチーフに対する感動の深さと泉のようにあふれる創作力でしょう。ブルックナーは交響曲でかつて私たちがあまり耳にしたことがないような宇宙的で神秘的な旋律を生み出しました。一見武骨で無意味に聴こえる音の羅列も、実はとても意味があり、何度も聴き込むほどに感動と深い余韻を実感させてくれるのです。メロディラインは決して複雑にせず、息の長い音型と繊細な弦の刻み、虚飾を一切排した純粋無垢な響きと構成で素晴らしい浄福の世界を描いて見せたのです!

8番は終始、内省的な彩りに覆われ、心の深いところに焦点を定めています。特に第1楽章は悲惨な情景が現れ、重々しく打ちひしがれた心を携えて苦悩する人間を彷彿とさせます。第2楽章も曲の本質的な部分においては、絶えず魂の安住の地を求め、もがき苦しみながら彷徨する旅人の姿を想わせます。 しかし、いたるところで澄んだ空気や爽やかな風、どこまでも抜けるような青空、広大なアルプスのような自然がバックボーンとなり、心を満たしてくれるのです! したがって重苦しい曲調であっても絶えず清浄な気流が流れ、絶望の淵に追いやられそうな人間を暖かく包み込んでくれるのです! 

第3楽章から第4楽章にかけては曲の核心の部分にあたり、次々と印象的な名旋律が現れます! 第3楽章のアダージョは神秘的な第1主題で始まります。第1主題のテーマは失意と悲しみを慈しむ心洗われる音楽といっていいでしょう。
そこにチェロを主体にした美しい第2主題が現れます。それは歓喜や慰め、悲しみ、祈りが入り混じったような一瞬で心を捉えて離さない名旋律と言っていいかもしれません。きっとこの旋律には私たちの心の奥底に眠っている美しい記憶の断片を引き出す何かがあるのでしょう!
その後金管楽器の壮麗な響きが虹のような輝きを生み出し、最高潮に達したところで神の栄光が地上に出現するのです! 第3楽章の終結部で潤いに満ちた天国的な情緒の中で名残惜しそうに終了するのが何とも印象的ですね。


第4楽章は冒頭の強い意志に導き出された金管楽器のファンファーレがただならぬ心の嵐を呼び起こします。息をつく間もなく次々と意味深いメロディが現れ、回想、瞑想、慟哭、嘆き等のさまざまなエピソードに満ちた深遠な世界を表出していくのです! そして終結部では痛ましい情景の表出、破滅的な合奏と共に小鳥が寂しくさえずります。その後、悲しみを抱えながら足どりを再開しますが、やがて神の栄光を顕すかのように希望の光と無限のエネルギーが降り注がれ、充溢した状況のうちに曲は終了するのです!

この8番は前回、クナパーツブッシュがミュンヘンフィルを振ったスタジオ録音盤をおすすめしました。もちろん画期的な大名演に違いないのですが、多分にワーグナー的な色彩感覚の強い演奏であることは否めません。そこで今回は純正のブルックナー演奏として同時代録音(1963年)のカール・シューリヒト&ウイーンフィル(EMI)の演奏をとりあげたいと思います!

シューリヒトの演奏はテンポが速く、かなり積極的に表情を付けているので、「どこが純正のブルックナーか」とおっしゃる方も当然おられるでしょう。 しかしこの曲に深い共感を寄せるシューリヒトの演奏はやはり格別で、ブルックナーの演奏スタイルを完全に手中に収めていることを痛感します! ウイーンフィルの演奏はやはり素晴らしく、楽器の音色の豊かな色合い、美しさ、存在感すべてにおいて満点です! 特に弦の刻みは決して同じ表情の羅列ではなく、絶妙に変化しながら崇高で豊かな色付けを全体に施していくのです!
金管楽器の雄弁なこともこの上ありません。時には「明るすぎるのでは」とか、「軽すぎるのでは」という異論も出てくるのでしょうが、これこそブルックナー本来の無垢な響きを最大限に生かしたものと言えるでしょう。
シューリヒトの表現は決して音色が暗くなったり、重くなったりすることはなく、終始快い透明感と気品を湛えながらブルックナーの音楽の本質を解き明かしてくれるのです!


2012年4月27日金曜日

ヘンデル オラトリオ「ユダス・マカベウス」









 このオラトリオはヘンデルのオラトリオの中では「メサイア」に次いでポピュラーな作品ではないでしょうか。ポピュラーというのも決して作品自体がポピュラーなのではなく、ある特定の曲が特別に有名だからなのです。
 その曲は日本のスポーツの祭典や大会の表彰式でもよく使われる「見よ勇者は帰る」という勇壮なヘンデルらしい曲です。この曲は表彰式定番の曲なのでおそらく大抵の人は耳にしたことがあるに違いありません! ベートーヴェンもこの曲を題材に「マカベウスの主題による変奏曲」という作品を残したのは有名な話ですよね。

 「ユダス・マカベウス」はマカバイ記(聖書外典)のユダス・マカバイを描いています。彼はセレウコス朝シリアの圧政に苦しむイスラエル民族を解放したイスラエルの英雄だったのでした。

 内容は当然のごとく戦闘的なモチーフの展開が多くなり、演奏や演出効果によっては同じような場面の繰り返しになってしまいかねません。概してストーリーもそれぞれの人物像の表現が意外にあっさり描かれており、聴きかたによっては「退屈だ」とか「単調だ」と感じてしまう方がいらっしゃっても決して不思議ではないでしょう。 しかし音楽的にはいささかも薄っぺらな内容ではなく、全体的に不屈の信念と神への賛美を描いたとても格調の高い骨格のしっかりした傑作と言えると思います。

 特に合唱の数はヘンデルのオラトリオの中で「エジプトのイスラエル人」、「メサイア」に次いで多く、そのどれもが重要な意味を持つ内容豊富な曲ばかりです。
ヘンデルは劇中のさまざまな合唱でこの英雄の進撃に対して快哉を叫ぶ民の声や圧政に打ちひしがれる民の哀しみを雄大なドラマとして表現し尽くしています! 全体的になだらかな曲線を描きながらスケール豊かに歌われる数々の合唱は、時には懐かしく響き、遙かな永遠への確信を抱いて歌う神への讃歌となっていくのです!
 デュエットやその間を縫う多くのアリアも気品に溢れ、優雅な味わいを醸し出し魅力も満載です!

 合唱で忘れ難いナンバーは神の偉大さを称え、輝かしく晴朗に歌うフィナーレの「ハレルヤアーメン!」、神への賛美を大河の流れのように優美に綴った「シオンはこうべ頭を上げよ Sion now her head shall raiseセレウコス朝の将軍を撃破し勝利を喜ぶ凱旋の合唱「神に向かって歌え Sing unto God」、誓いと信仰告白をフーガのリズムによって表現した「もう二度と跪きはしまい  O never, never bow we down」等多数ありますが、いずれ劣らぬ素晴らしい音楽であることは間違いありません。


  こうして見ると明確なポリシーを持ち、一貫したテーマのもとに音楽を次々と生み出し曲を構成するヘンデルの才能や手腕はやはり瞠目に値します!

  さて演奏のほうですが、推薦盤としておすすめできるCDが意外に少ないのに驚きました。戦闘的な要素を持ちながら叙情的な雰囲気を多分に持つこの音楽を雄弁に語るのはやはり難しいのかと思ってしまいます……。ガーディナー、ホグウッド、アーノンクール、ピノック等、他のオラトリオを積極的に取り上げてきた古楽の大家たちもこの曲はなぜか取り上げていません。

  そんな中でとりあえず満足できる録音としてあげたいのがレオナルド・ガルシア・アラルコン指揮ナミュール室内合唱団およびレザグレマンのCDです。とにかく音楽に勢いがあり、合唱も非常にのびやかで音楽に強く共感していることが端々から伝わってきます! そのことが音楽に陰影を与え豊かな表現を生み出しているのでしょう。タイトルロールを担当したテノールの櫻田亮は類い稀な美声と表現力で最高の存在感を発揮しています!
 
 もう1枚ユルゲン・ブッダイ指揮マウルブロン室内合唱団およびムジカ・フロレアの演奏はやや窮屈な感じはするものの、上滑りのしない落ち着いた深い味わいが印象的で、合唱も手堅く充実しています。




2012年4月21日土曜日

僕達急行ーA列車で行こう



いい味出してる映画「僕達急行ーA列車で行こう」






 最近3D映画が急増してきました。映画館に足を運ばせる人が減る傾向に歯止めをかけるためなのかもしれませんが、決して気分がいいものではありませんね…。なにしろ3Dメガネを通した映像が映画の感動の質を高めるものであれば大歓迎なのですが、そうでもありません。映像も無理矢理3Dにした感が強くて興ざめなのです。
 もしも映画の内容を3Dでカバーしようという動きがあるとしたら本末転倒もいいところでしょう。

 しかし、それ以上に残念で問題なのは3Dメガネのかけごこちの悪さです。顔が圧迫されるような感覚はとても辛く、最後までかけ通すことすら至難の技です。今後もどうしても3D映画を作るというなら、このメガネだけは何とかして頂きたいものです。

 そんな中、生粋の(?)2D映画を観てきました。それは先日亡くなった森田芳光監督の遺作、「僕達急行ーA列車で行こう」です。鉄道オタクの主演の2人(松山ケンイチ、瑛太)が偶然の出会いで意気投合するという話です。他愛の無い話なのですが、その語り口やストーリーの展開は軽妙洒脱でテンポが良く、まったく肩が凝りません。それでいてユーモアがいたるところに散りばめられ、何とも言えない空気感を出しているのです!何だか古き良き時代の映画を見ている感覚があるような無いような…!?。

 登場人物はみな一癖も二癖もあるような曲者ばかりで、不思議と言えば不思議な映画です。けれども、「どうだ」と言わんばかりの作為的な自惚れや演出のようなものが感じられず、その分肩の力を抜いてリラックスした状態で観ることができるのがとてもうれしいのです!
 深刻なストーリーの映画、CGバリバリの映画、内容がぎっしり詰まった映画を見疲れたあなた! この映画を観てください。案外いい気分転換にもなり、時間を忘れて楽しめるかもしれませんよ。