2017年4月6日木曜日

アルベール・マルケ 「ポン=ヌフとサマリテーヌ」








豊かな感性と
卓越した造形センス

マルケという人はちょっと見ただけだと何でもないような絵を描いてるようにしか見えないのですが、実は凄い絵を描いているということが見れば見るほど伝わってきます。

何がどんなふうに凄いのかというと、それは人並み外れた感性の豊かさと繊細さがあげられるでしょうし、それを形や色としてあたりまえのように抽出する造形センスや情報量の多さがあげられるでしょう…。

その情報量の種類は写真とは異質の世界ですし、写真からは絶対に得られない世界といっていいかもしれません……。またそこにこそマルケの絵の大きな存在価値があると言ってもいいでしょう。

たとえば今回ご紹介する「ポン=ヌフとサマリテーヌ」では、モチーフとなったパリの街並みの空気感や騒然とした雰囲気が醸し出されることはもちろん、画家の目に映った風景や絶えず呼吸する街並みのようすが生き生きと伝わってくるではありませんか…。

この絵ではマルケの持ち味であるグレートーンの色調がとても美しく、冬の寒々とした風景を魅力的に描き出しています。

なるほど画面全体に冬空の寒さが拡がっているように感じますし、雨混じりの雪が路面を濡らし、帰路を急ぐ人々の様子が次第に浮かび上がってきます……。
単純化したタッチなのですが、日常的な光景の中に強い共感と関心を寄せる画家の眼は鋭く、感性のフィルターが冴え渡っています。決してリアリズムを追究して描いているわけではありませんが、ここには写実を越えた心の記憶や感性に訴える実感があるのです。
 

2017年3月31日金曜日

ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番ニ短調作品30






















ライブでこそ真価が発揮される
ピアノ協奏曲

皆さんは期待に胸を弾ませて行った演奏会で、イマイチ音楽の良さを感知できずに終わってしまったとか、もどかしい思いをしながら聴いていると何が何だか分からないうちに演奏が終わってしまった……、というご経験をされたことはありませんか?
私にとって初めて聴いたラフマニノフのピアノ協奏曲第3番演奏会がまさにそれでした。

彼の有名なピアノ協奏曲第2番がロマンの固まりのような情緒と哀愁に彩られた名曲であるのに比べ、この曲はかなりとっつきにくいという印象を受けたものです。突発的なフレーズが頻出したり、調が変わったりして曲の流れがつかみにくく、音楽の脈絡を追っていくのが大変だ……というのが偽らざる実感でした。

実際この作品は1909年の初演以来、長い間市民権を得られずに不当な扱いを受ける時期があったようですね。ヴィルトゥオーゾ(圧倒的なテクニックと表現力で聴衆を魅了する超一流の演奏家)でなければ容易に弾きこなすことが出来ないテクニック的な難しさや曲の難解さが、このことにますます追い打ちをかけたことも間違いないようです。

ではこの作品は失敗作なのかというと、決してそんなことはありません。上述したヴィルトゥオーゾ的な醍醐味を味わえるのはもちろん、音楽の持つ多彩な表情や緊張感、エネルギーは傑作第2番を越えていると言ってもいいでしょう。

その上、第1楽章全体に流れる寂寥感は凍てつく冬の大地を想わせ、ラフマニノフらしい哀愁とロマンを湛えているのです。 また、第2楽章アダージョ冒頭の郷愁を誘うオーボエの美しい旋律は悲哀に満ちていて、憂鬱でやるせない想いが胸にひたひたと迫ってきます…。
第3楽章は第2楽章から切れ目なく演奏されますが、ここではあらゆるフレーズが奔放に飛び交います。なりふり構わないピアノとオケの絡みがフィナーレに向けて怒濤のように押し寄せる様子が圧巻です!

この曲はCDで聴くよりも、絶対的にライブコンサートで感動と興奮を味わうべきでしょう! まさにライブ向きの音楽だと断言しても決して過言ではありません。私のような失敗例はありますが、演奏会に行く前に、何度もCDを聴いて音楽の良さを実感出来れば、痺れるような感動体験が待っているかもしれませんね……。



揺るがぬ自信と確信を持った
ピアニストのみが
太刀打ち出来る

前述したようにこの曲はピアニスト泣かせの難所が少なくありません。特にピアノパートのおびただしい音符の数は唖然とするほどで、まるでピアノ一台で全体の曲調を創りあげ、歌い、呼吸をするように聴こえるほどなのです。したがってこの曲を演奏するピアニストは技巧的にも精神的にも揺るがぬ自信と確信を持った人でなければ太刀打ちできないということになるでしょう……。

ウラディーミル・アシュケナージ(ピアノ)、ベルナルド・ハイティンク指揮ロイヤルコンセルトへボウ管弦楽団(Decca)は作品の本質をどの演奏よりも分かりやすく、かつラフマニノフ3番の音楽の魅力を損なうことなく最大限に伝えてくれる演奏といっていいでしょう。
アシュケナージの端正で雄弁な音の佇まいとロイヤルコンセルトへボウの豊かなハーモニーは聴いていて安心で、ラフマニノフらしいロマンの香りが至る所で鳴り響いているのです。これは3番を聴き始めた方にとっても、また難しいと思っている方にも、その魅力に気づかせてくれる水先案内人のような名盤と言えるかもしれません。

ウラディーミル・ホロヴィッツ(ピアノ)、ユージン・オーマンディ指揮ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団(RCA)は今や歴史的な名演奏として、多くの人に語り継がれている名盤です。ホロヴィッツはこの曲を「自分の音楽だ」と豪語し、ピアニストでもあった作曲家(ラフマニノフ)が、その演奏に一目置いていたということは有名なエピソードですね。これは揺るがぬ自信と確信を持ったピアノ演奏の最たるものと言えるでしょう。1977年のライブのため鮮度にやや欠けるのが欠点ですが、ホロヴィッツの奔放で凄みのあるピアノは今聴いても圧倒的です。

ユジャ・ワン(ピアノ)、グスターボ・ドゥダメル指揮ベネズエラ・シモン・ボリバル交響楽団(グラモフォン)もライブ演奏ですが、音も良く、充分にその興奮と緊張感が伝わってきます。ワンのピアノは技巧的に非のうちようがありませんし、ドゥダメルの指揮も冴え渡っていて、終始熱い想いが伝わってくるのです!

2017年3月21日火曜日

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2017







ゴールデンウィークの
クラシック音楽の一大イベント

毎年恒例のゴールデンウィークのクラシック音楽イベントとして、すでに充分な実績を積んできた「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」が今年もやってまいります!

この音楽祭の良さを一言で言うならば、通常のクラシックコンサートにつきまとう堅苦しさがまったくないということですね。日本でも格式張らないで、やっとこのような自由に純粋に音楽が楽しめる空気が出来つつあることに希望を感じますし、うれしい限りです。そのような意味ではこの音楽イベントがもたらした功績は大だと言えるでしょう。

今年のテーマは「ラ・ダンス 舞曲の祭典」。ストラヴィンスキーのバレエ音楽やラヴェルの「ボレロ」あたりが思い浮びますが、ショパンのピアノ音楽もプログラムを賑わしているようです。今から楽しみです!

さて、今回のプログラムをざっと見渡したところ、目をひいたのがアルテュール・オネゲルのオラトリオ「ダヴィデ王」です。
オネゲルと言えば、後年のオラトリオ「火刑台上のジャンヌ・ダルク」が有名ですが、これはそれに先立つこと15年前の作品。おそらく日本で演奏されることは滅多にないのではないでしょうか。
今回は昨年のハイドンの「天地創造」が素晴らしかったダニエル・ロイスが指揮を担当するということもあって、期待に胸が膨らみます。





2017年3月13日月曜日

J.S.バッハ  6つのモテット
















声楽曲の主要なジャンルだった
モテット

「モテット」と言っても聞き慣れない言葉に戸惑われる方も多いことでしょう……。そもそもモテットは中世末期からバロック時代にかけて発達した声楽曲の主要なジャンルのひとつでした。ミサ曲以外のポリフォニー(複数の独立した声部で構成されている音楽を指す)を用いた宗教曲は押し並べてモテットと言われていたようです。

しかし、「モテットと言われても堅苦しいイメージしかないな…」とおっしゃる方もおられるのではないでしょうか。それは当然と言えば当然ですね! 確かに宗教曲ですし、どちらかというとドイツプロテスタント系のコラールを用いた音楽が主流ですので、下手をすると厳しく重々しいだけの音楽になってしまう可能性が充分にあるのです。

ここで紹介するバッハの「6つのモテット」も作曲家自身のコラールや受難曲、カンタータの断片を想わせる旋律が所々で使われています。従って、典礼を意識しつつ、音楽や言葉の本質を深く理解し、共感していない場合は悲惨な演奏になりかねません(もっとも、バッハのモテットに共感できない人が演奏や録音すること自体考えにくいことではありますが……)。

しかし、本質をしっかり捉えた演奏に出会いさえすれば、合唱の醍醐味を味わえたり、至福の時間を約束してくれる音楽でもあるのです。


音楽が湧き上がるグラーデン、
聖ヤコブ室内合唱団の演奏

上記のような意味からすれば、モテットらしくないけれど、最もモテットの魅力を引き出したのがグラーデン指揮=聖ヤコブ室内合唱団のライブ録音(Proprius)です。「モテットは堅苦しい」とつぶやいていた方……、これはそのような方にこそ聴いていただきたいアルバムです! 合唱の真髄を踏まえながらも、新鮮で柔軟なアプローチがとても心地よい音楽を作りあげているのです。

何よりも音楽が泉のように溢れ出て、停滞するところがありません。しかも、純度の高いハーモニーや発声の美しさは格別で、音楽に絶えず陰影と豊かさをもたらしているのです。

素晴らしいところをあげればキリがないでしょう。BWV225の弾むような発声、全体を有機的な流れの中で聴かせてしまう構成力!! またBWV159の憂いを帯びた表情、潤いや豊かさを含んだ歌声の味わい深さ……。BWV230での声がぶつかり合うような迫力や立体感、繊細かつ崇高な世界を表出する表現力には目を見張ります。

ガーディナー指揮モンテヴェルディ合唱団のライブ録音(SDG)も既成概念にとらわれない、オリジナリティあふれる音楽づくりが魅力です。グラーデン盤より更に個性的な表情が目立ちますが、作品の本質を逸脱していないのはさすがです。
合唱の精緻な響き、ディテールのこだわりが半端でなく、それが至るところで美しい表情を浮かびあがらせることに成功してますね。したがって聖ヤコブ室内合唱団を上回る部分も多々見られます。全体的に磨き抜かれた造型と圧倒的な音楽センスにはただただ舌を巻くばかりです。

2017年3月6日月曜日

デューラー 「祈りの手」










手は口ほどに物を言う?

「目は口ほどに物を言う」とは昔からよく使われる諺です。確かに相手の目を見ると、その人が言葉を発しなかったとしても、何を考えていて、どのような精神状態なのか分かるような気がしますね!
それでは手だったらどうでしょうか? おそらくほとんどの人は「手の動きで分かるもんか…」と答えるに違いありません。
しかし、ここにその一般の常識を大きくうち破った偉大な作品があります。デューラーの「祈りの手」です。

さて、この「祈りの手」には様々なエピソードがあるようです。それはデューラーは貧しい家庭に生まれ育ったために絵の具を取りそろえる経済的な余裕がなかったが、高名な画家に弟子入りしたときに同じ境遇の友人と出会ったという話です。

二人は親交を深め、それぞれの創作活動を支援するために働いて生活費を工面していこうということで合意しました。まず友人が炭鉱で働き、その間にデューラーが絵を描き続けるということになったのですが……。首尾良くデューラーの絵は売れ始め、その報告を友人に伝えようとしたら友人の手は炭鉱の厳しい仕事で指が曲がらなくなっていた(つまり絵が描けなくなっていた)という話です。友人の手を見たデューラーは「せめて手を描かせてくれ…」と頼みこみ、それが不朽の傑作になったというお話なのですが……。

確かに感動的な話ですが、私はこういうエピソードは真偽のほどはともかく、あまり気にしません。というよりはエピソードがどんなに感動的だったとしても、出来上がった作品自体がよくなければお話にならないからです。
それならむしろエピソードがなかったほうが良かったということになりかねませんし…。


崇高で敬虔な表情が伝わる絵

もちろん、「祈りの手」は芸術作品としては申し分ない傑作中の傑作です。そして、何と美しく豊かな表情を持った絵なのでしょうか!今まさに手を合わせようとする崇高で敬虔な表情がこの手からは自然と伝わってくるのです……。

この作品で手の動きの方向性や血管の隆起、心の動きを伝えるような線のタッチに至るまで、すべてを有機的な表現として絡ませ、大胆かつ細心の注意を払ったデューラーのアプローチは寸分の揺らぎがありません。手のひらから指先の隅々まで神経を通わせ、感情移入したムーブメントの表現は、もはや人体のパーツではなく、心や性格を有した一つの個性として結実しているのです!

ひたすら一生懸命描いたらこういう絵になったというのではなく、ここにはポイントを的確に捉えた鋭い洞察力やアカデミックな表現ながらデューラーの個性をしっかりと伝える並々ならぬ存在感が絵としての価値をさらに高めていることは言うまでもありません。

2017年2月18日土曜日

「東京・春・音楽祭 2017」












13回目を迎える
上野の森の音楽祭

今年も上野の森を音楽で彩る「東京・春・音楽祭」のシーズンがやってまいりました。この音楽祭も今年で既に13回目だとか……

多くの方々に愛されているイベントなんですね! 
プログラム全体をざーっと見渡したところ、目玉は何と言ってもマレク・ヤノフスキが振るワーグナーのニーベルングの指環から最終章「神々の黄昏」に尽きるでしょう!
ヤノフスキはワーグナー音楽の聖地バイロイトでもリングを振っていて、その叩き上げの実力と経験は実証済みです。今回の「神々」も凄いことになりそうですね。

3月から4月の長期に渡って開催されるこのイベント、思わぬ発見がありそうです。思い切って、これからは毎年の自分の恒例行事のひとつに加えてみようかな……。

2017年2月12日日曜日

ヘンデル メサイア2























無限の力と潤いを宿す
「メサイア」

BGMとしても有名で、天にも届けとばかりに高らかに歌い上げるヘンデルの「ハレルヤコーラス」。これを耳にすると何故か胸が高鳴り、思わず聴き入ってしまいますね……。

その「ハレルヤコーラス」を有するヘンデルのオラトリオ「メサイア」は彼のすべての作品で最も有名な作品といっていいでしょう。しかもあらゆるオラトリオの中で最も魅力的な作品と言えば、それはやはり「メサイア」ということになるに違いありません。

メサイアが類い稀な作品であることに変わりはありませんが、バッハのマタイ受難曲やベートーヴェンのミサソレムニス、モーツァルトのレクイエムあたりと比べると、軽い感じがするとか、あっさりとした感じがしてしまうのは私だけでしょうか?

いや、これは決して比べるべきではないのですよね。
メサイアの最大の魅力は長編の作品としては異例の簡潔さとメロディの口ずさみやすさがあげられます。音楽はあくまでもシンプルに徹していて余計な肉付けはまったくされていません。それなのに聴き手に与える感銘と演奏効果は絶大という驚くべき作品なのです。

あまり話題にはなりませんが、ヘンデルの作曲能力の高さは尋常ではありません。
冗長になったり、気が抜けたり一切しないところもメサイアの音楽としての完成度の高さを示しています。アリアや合唱、オーケストレーション、どれをとっても単純明快でシンプルなのですが、いずれも優美で気品が漂います。しかもそれだけでなく、堅固な建築物のように微動だにしない強さと輝きを誇っているのです。


作品のほうから
歩み寄ってくる

バッハのマタイやミサ曲ロ短調を聴く時は深刻な気持ちになったり、心を落ち着けないと作品に入れない感じがするのに、メサイアはちょっと違います! 作品のほうから私たちに歩み寄ってきてくれるのです。しかも音楽が進むにつれて何ともいえない幸福感で満たしてくれるのです。


私が大好きなのは 第2部 第30曲の合唱曲「門よ、お前たちのかしらを上げよ 」です。
このナンバーはヘンデル自身の二重協奏曲から転用したもので、とにかく合唱の美しさが際立っています。イエスの復活を告げる驚きや感動がソプラノパートを3部に分け、問いかけや応答という対比的な技法を用いることにより、麗しく気品に溢れた情感が鮮やかに浮かび上がってくるのです。

前述のハレルヤは合唱曲の名曲であることは言うまでもないでしょう! 広々とした空間を創出する音楽の展開や多様なパートの構成、音楽の要素がどんどん生成され発展していくエネルギーの高揚等々、どれをとっても合唱曲の粋を結集させた大傑作と言っても過言ではありません!



演奏が難しく
演奏によって豹変する作品


さて演奏ですが、とにかくメサイアだけは演奏がよくなければ話になりません。なぜかといえばメサイアほど演奏の良し悪しによって受ける印象が様変わりする作品はないからです。
演奏次第で空前の名作だと実感することもあれば、冗長な凡作に聴こえてしまう恐れも多分にあるのです。

推薦盤として最初にあげたいのはアントニー・ウォーカー(指揮)カンティレイション、アンティポデーズ管弦楽団(ABCクラシック)です。これは現代楽器、古楽器の演奏を問わず、メサイア演奏の常識にとらわれない実に新鮮な演奏です。特に合唱は秀逸ですね。ソプラノを前面に押し出した伸びやかで明るい発声、バランス感覚に優れ、なおかつ美しい情感が漂うセンス満点の歌唱に惹きつけられます!
ソリストもそこそこ粒ぞろいですし、ウオーカーの指揮は作為的な表現や演出がかった効果が皆無で、自然に音楽を歌わせているところに好感が持てます。


この演奏こそ、メサイア演奏の新しい可能性を切り開いた演奏と言えるでしょう!
30年以上経った今でも演奏は古さを感じさせませんし、突出した音楽センスやヘンデルの音楽への深い造詣が成し得た技なのかもしれません。合唱の無垢でみずみずしいハーモニーやカークビーのヴィブラートを排した透明感に満ちた歌は今なお最高です。


トレヴァー・ピノック指揮イングリッシュ・コンサート&コーラス、アーリーン・オジェー(ソプラノ)、アンネ・ゾフィー・フォン・オッター(メゾソプラノ)、マイケル・チャンス(カウンターテノール)、ハワード・クルック(テノール)、ジョン・トムリンソン(バリトン)(アルヒーフ)は何と言っても歌手陣が豪華で凄いの一言に尽きます。いずれ劣らぬ歌心の持ち主で、特にオジェーやオッターのアリアやレチタティーヴォは全編の華と言っていいでしょう。合唱はこれという特徴こそないものの、フレーズに心が通い安心して聴くことが出来ます。

 ポール・マクリーシュ指揮ガブリエルコンソート&プレイヤーズ(アルヒーフ)の演奏は快活でスピーディー、少々デフォルメを加えた大胆な演奏であるにもかかわらず、聴こえてくる音楽は透明感にあふれた純正のメサイアです。ガブリエルコンソートの合唱が最高で、高度なテクニックで意味深く豊かなハーモニーを綴っています!ソプラノのロッシュマン、グリットンらをはじめとする歌の味わいも最高です!