2015年1月28日水曜日

クロード・モネ 「左向きの日傘の女」




左向きの日傘の女  1886年 オルセー美術館




散歩、日傘の女 1875年 ワシントンナショナルギャラリー 




あふれる光と風の
思い出

 モネは印象派の画家の中でも、光や時間の流れを表現することに深い関心を寄せた画家でした。
 その傾向は中期の名作「左向きの日傘の女」(※右向きの日傘の女も同じ年に描かれています)にもよく表れています。写真が一般的ではなかったモネの時代(19世紀後半)は、絵がいかにしてその場の雰囲気を醸し出せるか否かということがとても重要な問題でした。なぜならば、生きた記録として残す手段が絵か文章か歌ぐらいしかなかったからです。
 もしモネが現代に生きていたとしたら、カメラの絞りやシャッタースピードに徹底的にこだわり、風景や女性を被写体にして驚くような美しい写真を撮影する凄腕のカメラマンになっていたのではないでしょうか……。

 この「日傘の女」は知人の娘、シュザンヌ・オシュデがモデルなのですが、絵の源泉になっているのは7年前に世を去った妻カミーユとの美しい思い出だと言われています。この絵から遡ること11年前に描かれた「散歩、日傘をさす女」は妻カミーユと息子ジャンをモデルにした絵なのですが、なんと幸福感に満たされた絵でしょうか! 二人の表情をさわやかな光や風が温かく包んでいる様子が伝わってきます。
 「左向きの日傘の女」は構図や絵柄、雰囲気すべてにおいてこの絵が土台となっていることは間違いありません。モネはカミーユとジャンを描いた時の美しい思い出がよほど心に深く刻まれていたのでしょう……。永遠に戻ってこないが、永遠に忘れられないあの日、あの瞬間が……。その時の晴れた日のさわやかな気候もほぼ一緒で、同じようなシチュエーションで描かれているのです。



10年の時がもたらした
モネの心境の変化

 ただし、10年あまりの間にモネの表現には大きな変化が現れているのは確かです。それは心境の変化と言っていいのかもしれないですね。たとえば「左向きの日傘の女」を見ると、モデルの顔はヴェールに包まれていて、誰なのかを特定することはできないように描かれています。
 しかも人物の性格描写にはほとんど目を向けていません。むしろ人物は自然の素晴らしさを表現する上で邪魔にならない程度に抑えられていますね。では脇役なのか?というと、もちろんそうでもありません。光の反射や投影する影、風がなびく様子を表現するのに白いドレスを纏った人物は格好のモチーフなのです。  
 すでにこの時代モネは、自然が織りなす神秘と調和に心を奪われていたのかもしれません。

 「左向きの日傘の女」で見事なのは、まるでその場に立っているかのように自然の息吹や臨場感を追体験できることでしょう。あふれるような光と心地よい風がモネのイマジネーション豊かな色彩や感性によって紡ぎ出されていることがわかります。 






2015年1月23日金曜日

切手の博物館











コレクターの気持ちも
分からないではない……

 切手の博物館があるなんて知りませんでした……。
 私自身コレクターではないので、切手にはほとんど関心を持っていなかったのですが、館内で世界中の新発売の切手やデザイン性のある切手、貴重な切手をずっと眺めているうちに切手収集が好きでたまらないという方々のお気持ちが何となく分かるような気がしてまいりました。切手という小さなスペースの中に封じ込まれた情報量やデザイン性はなかなか凄い!です。切手って本当に奥が深いんですねー。

 ここはおそらくコレクターやマニアにはたまらない施設なのでしょう。この博物館では常時、世界の切手が展示、販売されており、様々なデザインや種類の切手を見ることができます。決して広いとは言えない空間なのですが、逆にそのコンパクトなスペースゆえに、集中して見たい時にはいいのかもしれないですね。図書館やカフェも併設されており、検索をしたり、疲れたときの休憩にありがたい環境です。
 JR山手線の目白駅にも近く、電車の待ち時間や待ち合わせの時間調整に「ちょっと覗いてみようか」という感じで立ち寄るのもいいかもしれません。コレクションを充実させたい時や新しい記念切手を購入したい時に活用できそうですね。



【切手の博物館情報】

所在地   〒171-0031 東京都豊島区目白1-4-23
      TEL03-5951-3331  FAX03-5951-3332
開館時間  10:3017:00(ミュージアムショップは18:00まで)
休館日   月曜日(祝日の場合も)、展示替時、年末年始
入館料   大人200円、小中学生100
      障害者無料(各種手帳提示、介添者1名も無料)
      毎月23日の"ふみの日"は無料
      (23日が月曜日の場合は翌24日が無料)
      団体割引/10名以上で20円引き
図書館   資料検索:冊子目録、カード目録形式、レファレンスサービス
      コピーサービス:160円、申込時間10:3016:30





2015年1月19日月曜日

ホイッスラー 「白のシンフォニー No2 小さなホワイト・ガール」










計算された
センス満点の絵

 先日、横浜で開催されているホイッスラー展に行ってきました。その中の代表的な作品のひとつが「白のシンフォニーNo.2小さなホワイトガール」です。

 以前この絵を見た時は、特徴に乏しいジャポニスムを多少意識した絵ぐらいにしか思っていなかったのですが、改めて見ると実によく計算されたセンス満点の絵だったことがわかりました。 ジャポニスムの影響を受けて様々な試みを絵の中で生かそうとした人だけに、すべてにおいて洗練されていて、デザインのようにさまざまな要素が効果的に配置されているのです。
 色調のバランス、洗練された色彩、無駄の無い構図はホイッスラーが第一級の画家であることを強く印象づけるのです。

 この絵の良さはいろいろあるのですが、中でも構図は素晴らしく、一見立っているだけのように見える女性の姿にはさりげなく奥行きと動きが出るように施されているのです。たとえば頭から足元にかけて45度の垂直線を描き、画面を左右に二分するような三角形の構図は美しく安定した構図を生みだし、優雅さを表出することにも大いに寄与していることに注目したいですね。

 人物画は表情が美しくないと魅力が半減するといわれていますが、この絵は表情が美しく見えるような工夫がいたるところで施されていて秀逸です!繊細で優しいタッチや調度品、花、うちわの温かい色調が白いドレスをさらに引き立てています。



2015年1月14日水曜日

モーツァルト ピアノ協奏曲第12番イ長調 K.414





















誰からも愛される名曲

 ピアノ協奏曲第12番K.414はモーツァルトが颯爽とウィーンデビューを果たした1782年の作品です。彼の書簡によれば「むずかしすぎず易しすぎず、音楽通はもちろん、そうでない人もなぜだか満足」とありますが、その言葉どおり、実によく出来た作品なのです。

 K.414はメロディや演奏効果、親しみやすさ等々、あらゆる事を考慮しながらウィーンの聴衆のことを意識して作られた作品なのでしょう。この曲を聴くとモーツァルトがどれほど新天地に希望を抱いていたかが伝わってくるようですね。それにしても何て気の利いた……忘れ難い印象を残す作品なのでしょうか!

 ウィーンの聴衆のことを考えて作曲されたといいましたが、モーツァルトならではの魅力に満ち満ちていることは間違いありません。第1楽章ではピアノとオーケストラが微笑みかけるようにおしゃべりを交わす進行が最高ですし、どこまでも快活でユニーク、さわやかに展開する様子はモーツァルトを聴く喜びを味わせてくれます!

 K414で忘れられないのは、第3楽章の可愛らしくて、ちょっぴり憂いが漂うロンド・アレグレットの美しさですね。ここはモーツァルトの音楽の魅力が随所に花開いているといっていいでしょう。特にエピソード部分の可愛らしい主題をピアノが奏した後の転調の素晴らしさ……‼  涙が光り、憂いが漂う独特の雰囲気と余韻がひときわ胸をうちます! 



ハイドシェックと
ペライアの名演

 録音はハイドシェックのピアノとハンス・グラーフ指揮、ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団(ビクター)の演奏が傑出しています。特にハイドシェックは第3楽章の自在で即興的なピアノのタッチが最高で、生き生きとした表情がモーツァルトにピッタリです。第1、第2楽章も型にはまらず、即興的でセンス満点の音作りが功を奏しています。グラーフの伴奏にもう少し潤いがあれば言うことないのですが、これはこれでなかなかの好演というべきなのでしょう……。

 ペライア=イギリス室内管弦楽団(CBS)は「モーツァルトのK.414はこう弾くんだよ」と言わんばかりに自信に満ちた演奏を聴かせてくれます。ペライアはこういう美しいメロディを主体にした天衣無縫な作品が素晴らしいですね!  ピアノの音色はモーツァルトそのものだし、伴奏も終始充実した音楽を届けてくれます。




2015年1月7日水曜日

「ホイッスラー展」








四半世紀ぶりの日本公開
「ホイッスラー展」

 ホイッスラーは19世紀イギリスとフランスを舞台に活躍した画家です。彼の名前は「ジャポニスム」を絵のスタイルに採り入れた画家ということで有名になっているようですが、決してそれだけではありません。西洋の画家には珍しいモノトーンに近い色彩と考え抜かれた構図、優れた描写力は日本人の感性にも強く訴えかけます!
 今回の「ホイッスラー展」は昨年の京都展に引き続いて開催されているもので、日本公開は四半世紀ぶりとのこと……。きっと様々な発見とホイッスラーの絵の素晴らしさを認識する展覧会になることでしょう。



展覧会概要

 ジェームズ・マクニール・ホイッスラー(18341903)は、アメリカ・マサチューセッツ州に生まれ、幼少期をロシアで過ごした後、1855年、21歳の時に画家になることを志しパリに渡りました。パリでは、シャルル・グレールのアトリエに通う一方で、ギュスターヴ・クールベと出会い、レアリスム(写実主義)に感銘を受けます。そのため、ホイッスラーの初期の油彩画やエッチングなどの主題の選択や表現には、クールベの影響が色濃く表れています。

 19世紀欧米の画壇において、最も影響力のあった画家の一人であるホイッスラーは、ロンドンとパリを主な拠点として活躍し、クロード・モネなど印象派の画家たちとも親交がありました。また、構図や画面空間、色彩の調和などに関して、日本美術からインスピレーションを得て独自のスタイルを確立したジャポニスムの画家として世界的に知られています。 ヴィクトリア朝の英国では、道徳主義を反映した、教訓的意味が含まれる絵画が隆盛を極めていましたが、ホイッスラーは、絵画は教訓を伝えるために存在するのではないと考え、「芸術のための芸術」を唱えた唯美主義を主導しました。

 音楽は音の詩であるように、絵画は視覚の詩である。 
そして、主題は音や色彩のハーモニーとは何のかかわりもないのである” 

 ホイッスラーはこう語り、1865年以降シンフォニーハーモニーノクターンといった音楽用語を用いて、絵画の主題性や物語性を否定しました。同時代の潮流である、レアリスム(写実主義)、ラファエル前派、古典主義、象徴主義、ジャポニスムなど、さまざまな要素を取り入れて、唯美主義者として独自のスタイルを確立し、同時代、そして次世代の芸術家たちに広く影響を与えました。

 本展は、新たな芸術誕生の牽引者となった、ジャポニスムの巨匠・ホイッスラーの全貌を紹介する、日本では四半世紀ぶりとなる大規模な回顧展です。(公式サイトより)



展覧会基本情報

会場    横浜美術館
      〒220-0012 神奈川県横浜市西区みなとみらい3丁目4-1 
      横浜ジャックモールウエスト棟 
会期    2014126日(土)~201531日(日)
休館日   木曜日 
開館時間  10時~18時(入館は1730分まで)
主催    横浜美術館、NHKNHKプロモーション
観覧料   一般1,500円(前売1,300円、団体1,400円)
      高校・大学生1,100円(前売900円、団体1,000円)
      中学生600円(前売400円、団体500円)
      小学生以下 無料
      ( )内は前売ならびに、有料20名様以上の団体料金(用事前予約)
      毎週土曜日は、高校生以下無料(要生徒手帳、学生証)
      障がい者手帳をお持ちの方と介護の方(1名)は無料
      観覧当日に限り「ホイッスラー展」の観覧券で
      横浜美術館コレクション展も観覧可
公式サイト http://www.jm-whistler.jp
 


2015年1月4日日曜日

モーツァルト ピアノ協奏曲第17番 ト長調 K.453












 新年あけましておめでとうございます。
 日頃、私のブログを訪問していただき、本当にありがとうございます! 昨年は更新頻度が少なく、皆様には何かとご迷惑をおかけしてしまったかもしれません…。 申し訳ありませんでした。^_^; 今年はできるだけ頻度を上げて参りたいと想っておりますので、なにとぞよろしくお願いいたします。





心に溶けこむ
モーツァルトのピアノ協奏曲

 モーツァルトのピアノ協奏曲って他の作曲家のピアノ協奏曲とは何かが違うと思ったことありませんか?
 たとえばベートーヴェンやブラームス、チャイコフスキーの協奏曲を聴く前には身構えたり、最後まで集中力を切らさずに聴けるだろうかと考えてしまいがちなのですが、少なくともモーツァルトのピアノ協奏曲にはそれがありません。つまり、曲の意味を考えたり、無理にイメージを浮かべたり……と「思考」の部分に気をとらわれずに音楽に浸ることができるのです。

 モーツァルトの音色にはパステルカラーのような無限の色調の変化があり、純粋無垢な輝きがあるため、聴く人の心にスーッと溶けこんでくるのですね。 このような変幻自在な表情は聴く人のイマジネーションを高めてくれますし、聴く人の心にぴったり寄り添った音楽といっていいでしょう。
 次々と現れるメロディやリズムに心が踊り、音楽を聴くだけで人を幸せにできる作曲家ってそうそういませんね。



虹のような幸福感が
全編を包む

 ピアノ協奏曲17番K.453はモーツァルトが心身共に充実していた頃に書かれた作品で、予備知識を持たないで聴いたとしても、たちまちメロディの楽しさや美しさに魅せられることでしょう。

 第1楽章冒頭は大らかで上機嫌、かつ爽やかな情緒が印象的で、ピアノの音色は穏やかな光や風を彷彿とさせます。ピアノと管弦楽の間も絶妙ですし、感性豊かに応える楽器の響きが最高で、曲が進むにつれて気持ちもどんどん晴れやかになっていくのを感じますね!

 第2楽章アンダンテも心の内面を映し出すような音楽で、様々な情景が浮かんでくるのです。
 ムクドリの鳴声を主題にした第3楽章はユーモアと人生の悲哀がさりげなく同居している感じで、この卓抜した感性はモーツァルト独特のものなのでしょう。第1楽章同様にピアノと管弦楽の掛け合いがセンス満点で、生き生きとした流れの中に無限の色彩が彩られ、虹のような幸福感が全編を包み込みます。


ペライアとグードの名演


 ペライアは1980年代にモーツァルトのピアノ協奏曲集を録音していますが、このK.453も名演のひとつです。自然な音の美しさや陰影に満ちた繊細な表現が最高です。モーツァルトのピアノ協奏曲に対する愛情がにじみ出ているのもうれしい限りですね。ちょっと残念なのは第3楽章のムクドリのテーマがリズムを弾ませようとするあまり、ちよっと固くなってしまったかな……と感じる程度でしょうか。

 グードのピアノは硬質で時折ベートーヴェンを想わせますが、演奏はあくまでも自然体で、有機的な流れの中に見事な音楽が展開されていきます。音色には深さやコクがあり何回聴いても飽きることはないでしょう。オルフェウス室内管弦楽団の演奏も柔軟で端正な響きが心地よく、その抜群の推進力に魅せられます。





2014年12月21日日曜日

ベートーヴェン 交響曲第9番ニ短調作品125














年末の定番となった
ベートーヴェン「第9」

 今年も残すところわずかになってしまいました。ついこの間、年が明けたと思ったのに気がついたらあっという間に年末になってしまい、容赦ない時の流れの早さに唖然としてしまいます。
 さて、年末というとクリスマスシーズンということで賑わってきますが、私にとってすぐに思い浮かぶのが今や年末の定番となったベートーヴェンの「第9」コンサートです。今年はN響は誰が振るのかとか、都響は大物指揮者が振るかも…という想いをめぐらすだけでも楽しくなってきます。

 それだけベートーヴェンの「第9」が日本人の生活に定着してきたと言えるのでしょうね。では「第9」はどれだけ曲の本質が理解されて聴かれているのでしょうか? 残念ながら、これだけ年末の風物詩として愛されるようになった今でも充分に理解されているとは言い難い状況なのです。

 ある人は「とにかく、あの歓喜の合唱が出てくるまで耐え忍びながら聴いているんだよ…」と洩らしたことがありました。また、ある人は「あのグロテスクで意味不明な主題をさんざん聴いた後に歓喜の合唱がひょいと出てくるととても感動的なんだ♪」とまでおっしゃる方もいらっしゃいます。「えっ⁉ 第九コンサートって鑑賞という名の修行なの?」と思わず言いたくなってしまうのですが…。

 おそらく、多くの人は第4楽章の歓喜の合唱が出てくるまで辛抱して聴いているというのが実情なのでしょう……。でもそれではあまりにももったいない話ではないでしょうか。何と言っても第9の最大の聴きどころは第1楽章や第3楽章にあるのですから。



古典派に決別!
ロマン派の扉を開く

 「第9」は第4楽章に合唱を置いたこと自体、当時としては非常に画期的なのですが、もっと驚くのは、第1楽章のはるか先の時代を見据えたような抽象的で神秘的な音楽の開始です!「ベートーヴェンは古典的な様式や枠組みとはきっぱりと決別してしまったのか…」と思わせるほど第8番までのスタイルとは大きく変わっていたのでした。この楽章が最初にあるため「第9は難しい」と敬遠される方も少なくないのではないかと思います。    

 第1楽章は何回聴いても凄い音楽です。初めてこの楽章を聴いた時、あまりのスケールの大きさと前衛的な主題や経過句の出現に消化不良になったのを思いだしますね…。あの中期の傑作、英雄交響曲や第5交響曲ですら古典的なソナタ形式が曲の構造としてしっかりと息づいていたのに、第9になるともはやそのような枠組みさえ取りはらわれているのです。

 私が第9を聴いたのはカラヤン=ベルリンフィルが最初でした。次にバーンスタイン=ニューヨークフィルだったと覚えているのですが、歓喜のコーラスで華々しく盛り上がる第4楽章以外は双方ともあまり印象に残っていません。特に第1楽章は二人の大物指揮者で聴いたのにチンプンカンプン……。結果的に私にとって第1楽章はますます遠いものになってしまいました。

 しかし、それからしばらくして難解だと思っていた「第9」のイメージを根底的に覆す出会いがやってきます。それが伝説的名演奏と評されるフルトヴェングラー=バイロイト祝祭室内管弦楽団のライブ録音(EMI)でした。第1楽章の冒頭からまるで別世界で音が鳴っているような苦渋に満ちた重々しい響きやスケール雄大な独特の雰囲気に圧倒され、一瞬にして私の心を鷲掴みにしたのです…。

 フルトヴェングラーの指揮はスコアの読みが深く音符に潜む感情を雄弁に音にしたもので、私にとって初めて第9の実像が強い感動を伴って伝わってきたのでした。この時ほど演奏芸樹の素晴らしさを痛感したことはなかったように思います。
 フルトヴェングラーの類稀な名演から、第1楽章は宇宙的な拡がりや偉容が根底にあり、その中で人間の苦悩や底知れぬ不安を体現した作品なのだと実感するに至ったのでした。



豊かな人間感情に満ちた
第3楽章

 第3楽章はゆっくりとした緩徐楽章(アダージョ・モルト・カンタービレ)ですが、何という愛に満ちた様々な心模様が充満していることでしょうか。回想や悔悟、逍遙、憧憬、様々な想いが心を駆け巡りつつ、音楽は途切れることなく流れていきます。ある時は人生を肯定する崇高な主題として現れ、ある時は人生の敗北や葛藤を匂わせる主題として忍び寄ってきます……。 たっぷりとした呼吸、間合い、有機的な響き等、バトンテクニックよりは人間性や精神的なゆとりが要求される音楽で、ある意味最も指揮が難しい楽章と言ってもいいかもしれません。
 ここは第1楽章とならんで、深さにおいては「第9」の頂点といっていいでしょう。



強い意志の力の終楽章

 そして究極の第4楽章! 冒頭の地の底から唸りをあげるような管楽器の凄まじい不協和音に驚きますが、それに毅然と応答するチェロやコントラバスの内なる声に強い意志の力を感じざるを得ません。その後も第1楽章のテーマ、第2楽章のテーマ、第3楽章のテーマが奏されますが、いずれもチェロやコントラバスが毅然と否定します。
 しかし、チェロとコントラバスが誇り高い歓喜のテーマを奏すると、それに同調するようにオーケストラも静かに高揚しつつ共に歓喜のテーマを歌っていくのです。ここは第九の最高に感動的な瞬間でもありますね…。

 日頃、当たり前のように口ずさんでいる歓喜の合唱ですが、実は発見と閃きに満ちていて、どこをとっても常識的な美しい声楽のバランスを求めた部分はありません。

 ベートーヴェンは音楽の美観や常識的な音楽上のルールを少々犠牲にしたとしても、精神性の高揚や有機的な音の響きを絶対的に優先させているのです。ベートーヴェンが合唱を採り入れた大きな理由も「人間の声こそが究極の表現」と考えたからなのでしょう。

 合唱に管弦楽を絡ませた終楽章はドラマチックで熱いエネルギーに満ちあふれていていますし、フィナーレに向かって変化し発展する様子はまるで宇宙の再創造を見るかのようです。



永遠の名盤
フルトヴェングラーのライブ

 演奏は前述しましたようにフルトヴェングラー=バイロイト祝祭室内管弦楽団が今なお名盤として燦然と輝いており、その芸術的価値はまったく薄れることがありません。半世紀以上が経過し、モノーラルで録音があまり良くないにもかかわらず、今でも演奏は他を大きく引き離しています。
 第9の本質を余すところなく伝えてくれたこの演奏にはただ感謝の言葉しかありません。これに肉薄する録音を探すとしたらやはりフルトヴェングラーが残したいくつかのライブ演奏盤ということになるでしょう…。
 フルトヴェングラー没後60年を経過した今、本当は最新デジタル録音でフルトヴェングラーの牙城に迫る演奏を聴きたいのですが、クラシック音楽界の現状をみる限り、この夢は当分かないそうにありません…。とても残念ですが、しばらくはフルトヴェングラーが遺した財産に耳を傾けるしかないようです。