天衣無縫な創造のインスピレーション
不世出の天才作曲家モーツァルトがその真価を最大限に発揮したのはまぎれもなくオペラでしょう。モーツァルトは襟を正した交響曲や宗教音楽でももちろん美しく格調高い作品を作ったのですが、やはりオペラの生き生きした魅力には及びません。オペラはモーツァルトの天衣無縫な創造のインスピレーションを縦横無尽に発揮できた格好のジャンルだったのです。
おそらく、過去現在においてオペラのジャンルでモーツァルトほどの至高の高みに達した作曲家はいないと言ってもいいでしょう。いわゆるモーツァルトの3大オペラと呼ばれる「フィガロの結婚」、「魔笛」、「ドン・ジョバンニ」はどれも汲めども尽きない最高のエンターテインメントであり芸術なのです。
生き生きとした人間感情の表現、神秘の世界に誘う感性やコミカル、シリアスな表現の陰に見え隠れする哲学的なメッセージ……。そしてそれは決して理想の人物像を描くのではなく、等身大の人物を飾ることなく、デフォルメも加えながら大胆に描いて見せるのです。まさにオペラの世界においてモーツァルトは自ら道化となりながら、やんわりと人生の本質を皮肉を込めながら描いていったのです。
そのモーツァルトのオペラの中でも「後宮からの逃走」は最も入りやすい作品かもしれません。この作品はストーリーがやや唐突なところがありますが、変化に富み、ヴァイタリティに溢れ、随所にモーツァルトの卓抜したセンスが散りばめられているのです。
舞台はトルコの太守に売られてしまったコンスタンツェ他2人(ペドリッロ、ブロンデ)を救出するためにベルモンテが宮廷に潜入します。しかし廷内では性悪な番人オスミンが見張っているため救出はうまくいきそうにありません。
そこでペドリッロはオスミンを誘って酒を飲ませ、眠らせようとします(アリア「さあ戦いだ」、二重唱「バッカス万歳!」)。この作戦は成功します。しかし、上手くいったと思ったのもつかの間、オスミンが目を覚ましてしまい、再び捕らえられてしまいます。
ベルモンテがコンスタンツェと再会する時の四重唱「喜びの涙が流れるとき」から、ベルモンテとペドリッロがコンスタンツェとブロンデの貞節を疑うものの、誤解が解けて和解する四重唱「ああベルモンテ、私の命」のあたりはこの作品の最大の聴きものです。
喜び、失望、慰め、希望といった様々な感情が次々に表情を変えながらもまったく音楽的な窮屈さを伴わず、一気に聴かせてしまうモーツァルトの天才的なセンスには唖然とするしかありません。この作品では主役のコンスタンツェ、ベルモンテ以上にオスミン役の比重が大きく、何よりも図々しいくらいの存在感と声の独特の魅力が要求されるでしょう。
そこでペドリッロはオスミンを誘って酒を飲ませ、眠らせようとします(アリア「さあ戦いだ」、二重唱「バッカス万歳!」)。この作戦は成功します。しかし、上手くいったと思ったのもつかの間、オスミンが目を覚ましてしまい、再び捕らえられてしまいます。
ベルモンテがコンスタンツェと再会する時の四重唱「喜びの涙が流れるとき」から、ベルモンテとペドリッロがコンスタンツェとブロンデの貞節を疑うものの、誤解が解けて和解する四重唱「ああベルモンテ、私の命」のあたりはこの作品の最大の聴きものです。
喜び、失望、慰め、希望といった様々な感情が次々に表情を変えながらもまったく音楽的な窮屈さを伴わず、一気に聴かせてしまうモーツァルトの天才的なセンスには唖然とするしかありません。この作品では主役のコンスタンツェ、ベルモンテ以上にオスミン役の比重が大きく、何よりも図々しいくらいの存在感と声の独特の魅力が要求されるでしょう。
CDではクリスティ(エラート)の演奏が一切気負わない自然体のしなやかな演奏を聴かせてくれます。しかもまったく薄味になることなく、自然体であることが歌の魅力を引き立てて、楽器の響きを際立たせ、透明感に満ちたディテールの魅力を掘り起こして行く結果となるのです。シェファーのコンスタンツェ、ポストリッジのベルモンテ等、充実した歌手陣も魅力です。ただ、オスミン役のアラン・ユーイングが少々弱い感じがするのが残念です。
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