2013年10月10日木曜日

ハイドン ミサ曲第3番 ハ長調 「聖チェチリア・ミサ」










型にはまらないハイドンのミサ曲

 ハイドンは生涯ミサ曲や宗教曲をたくさん作りましたが、どれをとっても型にはまらないハイドン独自の個性が光る名曲揃いと言っていいでしょう。聖チェチーリアミサはネルソンミサやテレジアミサのような有名曲に比べれば認知度で一歩譲るものの、とびきりの名曲であることに変わりありません。
 ミサ曲といえば、カトリックの典礼に従い、神の意思にかなった神聖ものでなければならないという一般的な認識があるようです。しかし、創造的な作曲家であればあるほどミサ曲に求められる最低限の制約を満たしつつも、驚くほど自由なインスピレーションに満ちた創作をしていることがわかりますね!ミサ曲を純粋な音楽作品として捉えるならば宗教的な雰囲気や体裁は二の次と言ってもいいからなのでしょう。
 その代表格がベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」、そしてハイドンの諸々の作品なのです。ハイドンのミサ曲に聴かれる屈託の無いメロディ! 絶えず笑みを絶やさない無垢な響きには心がウキウキしてきます。それだけでなく、いざという時の生命力に満ちたフーガや雄渾で輝かしい主題の展開は聴く人の心を釘付けにしてしまいます。

 聖チェチーリアミサはこのようなハイドンのミサの魅力をそのまま凝縮したような傑作です。特にグロリアは所要時間の半分を要する核心部分と言っていいでしょう。中でもドミネ・デウス(主なる神よ)はアルト、テノール、バスが順を追って歌い、最後は輪唱と重唱で歌い交わす魅力に富んだ一篇で、声が織りなす器楽的な美しい効果や陰影が存分に表現されているのです!
 またグロリアの終曲クム・サンクト・スピリトゥ(われ聖霊とともに)も晴れやかで虹がかかったような光景を描き出すテーマが印象的です。心の躍動感や永遠への想いがフーガとなって展開されるのですが、そのような中にも憂いの心や慈悲の心が滲んでおり、決して単調に流れることはないのです。


プレストン盤の美しい演奏

 この作品には素晴らしい名盤があります。それがサイモン・プレストン指揮エンシェント室内管弦楽団、オックスフォードクライストチャーチ聖歌隊、ジュディス・ネルソン、デビッド・トーマスらによる演奏(オワリゾール)なのです。1978年のデジタル録音に突入した最初の頃の録音で、音がいいのも魅力です。
 とにかく、オリジナル楽器のメリットを最大限に生かした演奏と言っていいでしょう。透明感に満ちた晴朗な響きは抜群で、クドさがなく、乾いた土に水が染み込むような潤いのある表情を引き出しています。オックスフォードクライストチャーチ聖歌隊の合唱もこの作品にぴったりで、美しく無垢な声の響きが最高です。
また、ドミネ・デウスのアルト、テノール、バスによるケレン味のない声の饗宴はきっと至福の時を約束してくれることでしょう!「ハイドンはどうも苦手だな……」という方もこの録音を聴けば、きっとハイドンを聴く喜びで満たされるに違いありません。




2013年9月30日月曜日

J.S.バッハ オーボエ、ヴァイオリンのための二重協奏曲ニ短調BWV1060a










 芸術作品を心から楽しみ味わうためには押さえるべき数々の条件がありますね。中でも大切なことは「偏見を持たない」、「純粋に作品と向き合うこと」になるでしょう。たとえば、最初から「バッハ、モーツァルト、ショパンの作品は凄い」という既成概念を持って作品の良し悪しを判断してしまうことですが…、これはあまりよろしくないことですね。既成概念を持って作品を鑑賞すると、本来様々なインスピレーションを受けるはずの感性のフィルターが閉ざされてしまいます…。つまり素直に作品を堪能することができなくなっ てしまうのですね。極端な話、作者の名前を伏せて絵を見たり、音楽を聴くことは大切なことかもしれません。もっと自分の目と耳、そして感性を信じることが大切でしょう!
 そして作品を鑑賞するときに、「自分だったらこんな風に表現してみたいな」とか、「こうしたらもっと面白いかも…」という感じで疑似創作体験をしてみることです。これは実際に曲を作るとか、絵を描いたりしなくてもイメージを思い巡らすだけで、作品に対する理解が深まるだけでなく、作品を鑑賞する楽しさや面白さが格段に増すのです!

 話がかなり横道に逸れてしまいましたが、このオーボエとヴァイオリンの協奏曲はバッハの作品であるかどうかが疑われているようですね。でも私はそんなことまったく気になりません。たとえバッハの作品でなかったとしても、作品の価値はまったく変わらないのですから……。

 そしてこの作品にはかつて途轍もない名演奏がありました。それがヘルムート・ヴィンシャーマンのオーボエと指揮、ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルのヴァイオリン、ドイツ・バッハ・ゾリスデン(コロムビア・廃盤)の演奏です。とにかく、この作品はヴィンシャーマンの演奏によって市民権を獲得したといっても決して過言ではないでしょう。絶妙な間合いやリズム感、音色の温かさ、高音の伸び等、ヴィンシャーマンの抜群の音楽センスにはため息が出るばかりです。この曲は二短調なのですが、短調の曲にありがちな息苦しさがまったくありません。それどころか少しずつ主題のスタイルを変えて展開されるメッセージはワクワクし、最高の幸福感さえもたらしてくれるのです。

 ヴィンシャーマン盤を聴けば、バッハの曲にこんなに愉悦感があったのかと驚かれる方もきっと多いのではないでしょうか。
 第1楽章のオーボエとヴァイオリンの対話はとても和やかで、短調であることを忘れるくらいスーッと心に溶けこんでくるような趣きがあります。第2楽章の弦のピッチカートを伴奏にした緩やかなメロディの展開も美しい表情を生み出し、長さを感じません。第3楽章も第1楽章とほぼ同じことが言えますが、ここでもオーボエとヴァイオリンの絡みが多彩な美しさを生み出しているのです。

 ※CDが廃盤の現在、この演奏を楽しむためにはiTunesの配信サービスを利用されるしかないようです。





2013年9月22日日曜日

劇団四季 ミュージカル「李香蘭」









史実に基づくドキュメンタリー

 この作品の初演は1991年ですから、もう20年以上も前から劇団四季のオリジナルミュージカルとして取り上げられてきたのですね。テーマは戦前のアジアを代表する大スターとして一世を風靡した李香蘭(山口淑子)が中国、日本の二国間の政治の板挟みに苦しんだり、時代に翻弄される激動の記録を綴ったドキュメンタリーです。とにかく当時の緊迫した世相がふんだんに盛り込まれており、かなり重々しい内容です。

 何せ、前半は日本の戦時下の歴史のおさらいをするように歴史の史実に基づいて劇が進行していくので、下手をするととても単調で暗い舞台になってしまいかねないのです。劇中で「満蒙は日本の生命線」と関東軍の軍人たちが歌う厳ついマーチが良くも悪くも強烈に印象に残ってしまいます。
 そのような意味でも、語り部のようにストーリーを進行させる川島芳子の存在がとても大きいように感じました。男装の麗人、川島芳子のキャスティングが魅力的であればあるほど、この重い史実をしっかりと記憶に留めることができる橋渡しになるのかもしれないですね。今回は樋口麻美さんが担当されてましたが、うってつけだと思います。抑揚のある演技に張りのある声、飽きさせない自然なユーモア等、見事だと思います。
 そして李香蘭役の野村玲子さんは初演からこの大役を担当されており、今回も堂々の香蘭役でした。途中別の方に役を譲ったこともありますが、今でも立派に香蘭になり切っているのですから凄いと言わざるを得ません!特に裁判のシーンの哀願する声の切実さ、深く感情移入した表現はやはり野村さんでないと……と痛感させられました。

 このミュージカルは李香蘭のストーリーというより、李香蘭が生きた時代の戦時下のドラマという気もします。なぜこのようなテーマをミュージカルにしたのかという賛否両論も当然あることでしょう。しかし、戦争の悲惨さや狂気を風化させないためにもミュージカルという形で結晶化させたことはとても意味があると思います。「海行かば」で戦火の彼方に無残にも散っていった兵士たちの映像や出撃する兵士たちの一言一言ににじみ出る切なくやるせない想い等々は関係される方々にとってはとても涙なくしては見れない場面でしょう。きっと深い哀悼の意味もこめられているのだと思います。


夢を見るような美しいシーンも随所に散りばめられて

 しかし、劇は決して重苦しいシーンばかりではありません。随所に夢を見るような美しいシーンが散りばめられているのです。
 例えば、父親の友人として家族ぐるみの交流があった李際春将軍の義理の娘分となり、「李香蘭」という中国名を与えられた時に流れる「中国と日本」の音楽の美しさは格別で、香蘭と愛蓮(香蘭の姉となった)の二重唱の美しさや形を変えて表現される合唱は古き良き時代の童謡の世界やプッチーニの蝶々夫人のような懐かしい雰囲気を醸し出していくのです。

 でも、特に感動したのは最後の20分ぐらいのところでしょうか……。劇の冒頭に出てくる裁判の法廷シーンがリプレイされるところあたりからなのですが、李香蘭を「死刑にすべきだ」という怒声があがる中で香蘭が自らの心情を吐露するように歌うナンバーが涙なくしては聴けない……。そして香蘭の身元がはっきりとして、裁判長が威厳と人徳の漂うバリトン調で朗々と歌うナンバーもひしひしと心の奥底に響いてくるのでした。そして二つの国の愛と信頼を祈る「中国と日本」のフィナーレも圧倒的な感動で幕を閉じていきます。

 改めて、演出の練りこまれた素晴らしさと音楽の美しさ、振り付けの変幻自在の素晴らしさ、そして四季の舞台に賭ける底力を痛感した演目でした!




2013年9月12日木曜日

シャルダン カーネーションの花瓶







絶品の静物画

 18世紀フランス絵画の巨匠シャルダンは、学生時代の頃の私にとって特別な存在だったように思います。特に静物画の格調高く暖かみのある画風にはずいぶんと心惹かれてきたものでした。彼は華やかなフランス・ルイ王朝時代に生きた人でしたが、明らかに当時全盛のロココ美術とは一線を画していました。
 シャルダンの絵は静謐だとはよく言われますが、もちろんそれだけの人ではありません。実は、彼の静物画は芳醇な色彩の魅力に富んでおり、対象を深く愛情を持って捉えた存在感と気品を併せ持っているのです。この「カーネーションの花瓶」も例外ではありません。

 それにしても花瓶に差された花々の生き生きとした佇まいの見事さは何と説明したらいいのでしょうか……。上品で清楚、そして甘い花の香りがほんのりと伝わってくるような柔らかな雰囲気に満ちているのです。よく見ると丹念に描写されたと思われる花のディテールが、意外にも大胆でスピーディーな筆のタッチにより表現されていることに気づかされます。
 白が白らしい美しい色調を装い、赤は妖艶なまでに心に響く深い色となっているのです。しかも、背景の絶妙な空気感や花瓶とのコントラストが見事な空間を生み出していることに気づきます。一見地味なようですが、どうしてどうして実はセンス満点の絵であることを実感するのです。これは決して普通のリアリズムでは表現できない世界でしょうし、何よりも画家の卓越した感性が強く絵に反映しているのです!

 この絵は今年、東京・三菱一号館美術館での「シャルダン展」に出品された絵として話題になりました。残念ながら私はせっかくのチャンスを逃してしまいました……。悔やんでも悔やみきれないのですが、またいつか見られる機会をのんびりと待とうと思います。




2013年9月4日水曜日

劇団四季 ミュージカル「夢から醒めた夢」




「夢から醒めた夢」のポスター




年齢、性別を問わず楽しめる、四季オリジナルのミュージカル

 先日、以前から気になっていた劇団四季の「夢から醒めた夢」の公演に行ってきました。公演の20分ほど前に会場(四季劇場・秋)に到着すると、何とスタッフによるロビー・パフォーマンスのお出迎え! 公演を前にして廊下や階段で繰り広げられたミニショータイムは私に素敵な時間を与えてくれ、心地よい気分にさせてくれたのでした。

 この作品は、好奇心旺盛で元気な女の子ピコが、突然の交通事故で命を落とした女の子のマコと一日だけ入れ替わる約束をする話です。なぜそんな約束をしたのかというと……、それはマコと仲の良かったお母さんが今も深い悲しみに沈んでいることに対して、「会ってきちんと最後のお別れを言いたい」ということだったのでした。そこでピコはマコから預かった天国行きのホワイトのパスポートを持って霊界に入っていくのですが、そこで待ち受けていたものは!?……。

 開演するとミュージカル独特の華やかさが全開で、ワクワク感が増す中で舞台は特別な空間に変貌しました。ストーリーはわかりやすいし、劇の流れやテンポも軽快で間延びするところがまったくありません! 次々と展開されるエピソードは笑いあり涙ありでとても楽しいし、心に響きます。キャラクターの描き分けも絶妙で、それぞれが魅力的で愛すべき人たちなのだということがよく伝わってきました。
 噂には聞いていたものの、こんなに楽しい作品だとは思ってもみませんでしたね。結局、片時も舞台から目を離すことができませんでした。「ライオンキング」「キャッツ」のように大掛かりな作品ではありませんが、とてもよくまとまった傑作だと思います。本当にあっという間の2時間20分でした!




多くのメッセージが盛り込まれた作品

 この作品は制作スタッフのきめ細やかな愛情が注がれていることを強く感じました。生きることや人として大切なことをさりげなくエピソードとして盛り込んでいるところが心憎いですね!これを映画やドラマでやると何かと説教臭くなってしまうのでしょうが、そのような雰囲気はまったくありません。これもミュージカルの成せる技であり、素晴らしいところなのかなと思います。

 とにかく感動を盛り上げる要素には事欠かないですね!   振付は見事だし、演出のうまさも光ってるし、思わず鼻歌交じりに歌ってしまいそうな音楽の美しさ等々……、あげればキリがありません。そして何より歌とダンス、台詞が自然に無理なくストーリーにはまっているところが素晴らしいと思います。今回はキャスティングも良かったですね!特にピコ役の岡村美南さん、マコ役の土居愛美さん、夢の配達人役の荒川務さん、デビル役の野中万寿夫さんが印象に残りました。
 テーマや内容からいっても親子連れが多いのは当然なのですが、性別、年齢を問わず心から楽しめるミュージカルだと思います。

 この作品の原作者、赤川次郎さんがトークイベントのインタビューに答えていました。その中で「もし、このミュージカルに手を加えるとしたら、どの部分ですか」という質問がありましたが、これに対して赤川さんは「特にはないけど…世界中でテロや飢餓、内戦の犠牲になって死んでいく子どもたちの現状は今もまったく変わってない」と話し、「このような悲しいセリフを台本からカットできる時代になればいいですね」という内容の感想をおっしゃってました。確かにそのとおりで、科学技術の進歩はめざましいのに、戦争やテロ、飢餓の問題は現在でもほとんど解決されていません。この言葉はとても重みがあるように思いました……。

 「夢から醒めた夢」は文字通り「夢」を、そして「勇気」を与えてくれた素晴らしい公演でした。見終わってからしばらくの間は「二人の世界」や「愛をあげましょう」の歌のナンバーが頭の中で鳴り響いてました。どうやらすっかり舞台に魅せられてしまったようです。舞台終了後には出演された皆さんがロビーでお客様を見送りしたり、握手をしたりと素晴らしい想い出を演出してくださいました……。また機会があれば、足を運んでみたいですね…。



2013年8月30日金曜日

ブラームス 交響曲第4番ホ短調作品98









ブラームスでしか作れない、こだわりの傑作

 ブラームスは交響曲というジャンルを彼自身のライフワークだと位置づけて作曲していたようです。そのため作曲には大変慎重でした。何より尊敬するベートーヴェンの交響曲に匹敵する作品を作りたいという想いがそうさせたのでしょう……。第1番は作曲から完成まで約20年という信じられない期間が費やされました。もはやこの長さは「石橋を叩いて渡る」という次元のお話ではないかもしれません。でもブラームスにとっては冗談でも何でもなく、妥協のない作品を作るための真剣な賭けだったのです。

 しかし、2番以降はいい意味で肩の荷が降りたのでしょう。約1年ほどの間隔で3曲が次々と作曲されています。特に最後の交響曲第4番はブラームスでしか作れない晩秋を想わせるメロディや悲哀に満ちた感情表現が一種独特の世界を築き上げているのです!4番こそブラームスの交響曲の最高傑作だとおっしゃるファンが多いのもうなずけます。
 この4番を聴く限り、ブラームスは古典的なスタイルの音楽志向を持つ作曲家というよりは本質的にロマン派作曲家だったということがお分かりいただけるのではないでしょうか。

 特に第1楽章はロマンの極致と言えるような格調高い旋律と渋く淡い情感がとても心に染みます。
 第2楽章はホ長調ですが、ある意味第1楽章以上に胸に迫る哀しみや余情がにじみ出た楽曲ではないでしょうか。ホルンやヴァイオリン、チェロが対位法的な絡みの中で繊細に描き出す表情が美しく、過ぎ去った日々の光景が眼前に浮かんでくるようです。第3楽章はダイナミズムが冴え、テンポの良さと相俟って曲が大いに盛り上がっていきます!

 第4楽章の終結部には有名なシャコンヌが挿入されます。ブラームスがなぜ最後にシャコンヌを使ったのか理解できないとおっしゃる方も多いでしょう。しかし、様々な主題を用いた変奏曲やシャコンヌ、バッサカリア(主にバロック時代に使用された様式)が使用されるこの楽章は全曲の白眉と言ってよく、厳しく密度の濃い音楽になっているのです。憂愁や崇高な感情が次々と現れては消えるのですが、中間部では凍てつくほどに静けさを湛えた楽器の奏でる神秘的な音やニュアンスが心を震わせます。

 この曲を聴くと、色彩的な要素はほとんど感じられませんし、埋め尽くせない人の心の寂しさや空虚感が辺りを覆っている感じがします。しかし、それを超えた普遍的な自然の摂理が存在しているということも作品は伝えているように思うのですが、皆様はいかがでしょうか?


作品に大いに共感するザンデルリンクの名演

 4番はザンデルリンク指揮ベルリン交響楽団(Profil)の演奏こそ、この曲が言わんとしている情感を余すところなく伝えた最高の名演奏と言っていいでしょう。第1楽章では弦の奥行きのある響きが雰囲気満点で、抜群に美しいハーモニーを奏でていきます。自然な流れの中にも豊かな音楽の魂が息づいていることに驚かされます! 第2楽章も相変わらず合奏がきめ細やかで美しく、詩的なセンチメンタリズムを思わせます。第3楽章の剛毅な迫力や第4楽章の格調高い響き等、どこをとっても聴く人はブラームスの音楽の心と結ばれていくに違いありません。とにかく作品の美しさを損なうこと無く、あらゆる面で最大限に引き出しているのです。
 ザンデルリンクは70年代にドレスデン・シュターツカペレと組んで録音していますが、こちらもなかなかの名演奏です。



2013年8月21日水曜日

ベートーヴェン ピアノソナタ第21番ハ長調Op.53「ワルトシュタイン」










強い意志を感じさせる作品

 ベートーヴェンのピアノソナタ第21番「ワルトシュタイン」は私にとって思い出深い曲です。この曲の圧倒的なエネルギーや懐の深い曲調は学生時代に挫けそうになった私へ限りない勇気を与えてくれたのでした……。

 ベートーヴェンの音楽は強い意志を感じさせる作品が多いのですが、この「ワルトシュタイン」もそのような性格が見事に反映された作品の一つです!特に第1楽章はエネルギーがみるみるうちに集積され放出されるような激しい情熱が渦巻きます。音楽は淀むことなく、めまぐるしい転調やシンコペーションリズムの挿入、大胆な和音が続出するにもかかわらず、曲が一切破綻していません。それはベートーヴェンの音楽に強固な太い芯が通っているからなのでしょう……。
 第2楽章は約3分少々の短い楽章ですが、決して第1楽章と第3楽章の場つなぎ的な楽章ではありません。第1楽章と第3楽章の場面転換を強く印象づけ、心の内面を深く見つめる重要な楽章なのです。沈思と回想、ここから聞こえてくるのはベートーヴェンの内省の想いなのです……。第2楽章は分散和音が回帰し、思い出を閉じるように第3楽章に移行していきます。
 すると無限の優しさと愛おしさにあふれた第3楽章のロンド主題が現れます!忘れかけていた大切なものに巡り会えた喜びと深い安らぎがあたりを支配します。曲中に何度も形を変えて展開されるロンド主題は平和を謳歌する象徴のように次第に深化されていくのです。


ベートーヴェンの精神を具現化したようなバックハウスの名演奏

 演奏はバックハウスの録音(DECCA)が他のピアニストとは別次元の演奏と言えるでしょう。ベートーヴェン演奏に対する揺るぎない自信と確信が成せる技なのでしょうが、それにしても聴けば聴くほど凄い演奏です!

 第1楽章の豪快でスケールの大きい表現、第2楽章の心の機微や内省的な表情を息づかせる表現、第3楽章の懐の深い表現と息づかい……。ともすればバックハウスのイメージから豪快一辺倒な演奏を思いがちですが、決してそうではありません。多彩な表情や深い感情の余韻を随所に聴かせてくれるのです。
 聴く人は音楽に浸る幸福感を最高に感じることが出来るでしょう!「ワルトシュタイン」においてバックハウスは心技体すべてでベートーヴェンの精神性を具現化している(熱情ソナタにも言えることですが)と言っても過言ではないでしょう!特に息もつかせぬパッセージの有機的な流れやフレージングの見事さ!バックハウスが施す音楽の”間”はただの余白ではなく、曲の全体像を彫琢する重要な音なのです。ステレオ初期の録音ではありますが、今もその存在感は絶大です。