2016年3月5日土曜日

ジェリコー 『メデューズ号の筏』










時代とともに大きく変化する
ライフスタイル

 最近は何かにつけて便利な時代になりましたね……。今や携帯電話ならぬスマートフォンが日常生活に欠かせない必需品になってきました。しかもこれ一台で病院の予約や映画のチケットの購入も完了してしまうという便利さです! まさに情報化社会にふさわしいツールと言えるでしょう。

 こんなことは20年前では考えられなかったことですし、恐るべき技術の進歩といっていいでしょう。こんなに便利になってしまうと、もはやスマホのない生活はちょっと考えられません。

 そのような意味でも、人間って、一度便利さに慣れてしまうと、後戻りすることは困難ですね……。昨日よりも今日、今日よりも明日というように絶えず便利になる道を求めてしまうからです。

 それと同様にテクノロジーの発展によって、生活スタイルも大きく変わってきました。それはアート、芸術を創作、鑑賞する上でも同様のことが起こっていると言っていいでしょう。


シャッターチャンスを
超えた『メデューズ号の筏』

 かつて、写真が一般化する前の時代(20世紀以前)は絵画が生活の一コマを忠実に伝える大切な表現ツールでした。

 たとえばナポレオンの戴冠式を圧倒的なスケールで描いたダビットや、ショパンの感性豊かな表情を的確に捉えたドラクロワ、自然のありのままの情景を臨場感豊かに描いたクールベ、それぞれの画家はポリシーやコンセプトが異なるとは言え、写真とはひと味もふた味も違う表現方法で人々を魅了したのです。

 おそらく現在とは比べものにならないくらい情報伝達手段としての絵画の需要は高かったでしょうし、人々の様子や美しい自然、災害・事故、事件、重大な行事などを留めておくためにはなくてはならないものだったのです……。

 そのような中で、今で言うスクープ報道写真的な効果で人々を驚かせたのが、テオドール・ジェリコーが描いた『メデューズ号の筏』でしょう。これは当時社会的な問題にもなった1816年のメデューズ号座礁後の顛末を描いた絵です。
 船はモロッコ沖で座礁した後、船に取り付けてあった救命艇を海に浮かべたものの、わずかな人数しか収容できず、船長を始めとする船員たちで満杯(つまり乗客は置き去り?…)になってしまいました。残された乗客たちは自力で筏を作ったものの、漂流する150名(生存者は15名だけだった)は地獄のような光景を見ることになったのです。

 実際この絵は画家自身が事故の現場を訪れたり、生存者に当時の状況を詳細に確認したりするなど、綿密な下調べをして描いたという記録が残っています。容赦なく襲ってくる風や波の恐怖や尋常ではない人々の状況がリアリスティックなタッチと共に異様な緊迫感をもって伝わってくるではありませんか……。

 そのような画面づくりの事細かな計算とさまざまな要素が絡みあって、この絵を不朽の名画に押し上げていることは言うまでもないのですが、それはカメラのシャッターチャンスにはない崇高な哲学と微動だにしないコンセプトがあるからでしょう…。


画家としての品性と
誇りを失わなかった名画

 もし、ジェリコーが当時の様子を事実に忠実に、赤裸々に描いたとしたらどうなったでしょうか?おそらく、おぞましい光景を写しとった見るも無残な風俗画に成り下がってしまったことでしょう。しかし、ジェリコーは恐ろしい事実を描ききったにもかかわらず、画家の良心、人間としての誇りと品性を決して失わなかったのです。

 それは痩せ細って痛々しい姿をさらす肉体を描くのではなく、ミケランジェロやルーベンスのように筋骨隆々で力感あふれる肉体の人々を描いていることでも明らかです。
 また、筏の上部で海の彼方を指さす人の姿からは一筋の希望を感じるし、未来へ繋がっていく予兆も感じさせるのです。
 写真でこのような包括的な表現をすることは限界があるし、実際不可能でしょう。悲惨な光景を描きつつも、彼は彼なりに一本筋を通しているのです。

 ジェリコーの絵は人々に悲惨な現実を強く訴えるという社会派的な要素を色濃く滲ませた作品なのですが、手法としてはあくまでも古典的でモニュメンタルな手法を貫いています。そのような制作姿勢が絵画としての普遍性を際だたせ、名画としての評価を不動のものにしたと言ってもいいでしょう。


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