2014年7月30日水曜日

モーツァルト クラリネット協奏曲イ長調K.622












「遊び」の要素が集約された
モーツァルトの名曲

 作曲家にとって「遊び」はインスピレーションにあふれた創作をし、作品のヴァリエーションの引き出しを拡げる上でとても大事な要素です。「遊び」の要素がないと、大抵は堅苦しく理屈っぽい作品になりやすいのです。
 誤解がないように申しますと、作曲上の「遊び」は決して羽目を外したハチャメチャな作曲をするという意味ではなく、音楽に新鮮な驚きや閃き、ときめきを加味することであったり、既成概念にとらわれない、型にはまらない自由な発想をすることなのです。言うなれば一つの潤滑油のようなものとして捉えることができるかもしれませんね。

 モーツァルトはそのような「遊び」の要素をふんだんに持ち合わせた作曲家でした……。特にモーツァルトの晩年の名作、クラリネット協奏曲は「遊び」の要素が集約された作品と言ってもいいのではないでしょうか。

 クラリネットはモーツァルトがピアノと共に最も愛した楽器のひとつでした。そのことはクラリネットの響きにまるで人の声やおしゃべりのような多彩な表情を施したことでも充分に伺い知ることができます。クラリネットの音色の特性を知りつくしていたからこそ、こんなにも融通無碍で美しい名曲が生まれたのでしょう。



クラリネットと管弦楽
絶妙な対話によって開かれる
心の扉

 モーツァルトの心の想いを素直に反映するクラリネットの響きとそれを優しく包み込む管弦楽の響き……。両者は絶妙な対話によって心の扉を少しずつ開放していくのです。
 中でも前述した「遊び」の要素が顕著に現れるのは第3楽章でしょう。主題らしい主題がなく、道化師のような滑稽なリズムとフレーズで歌われるクラリネットパート……。そしてそれを受け継ぐオーケストラパートのやるせない響き…。何とも意味深い主題の提示方法ですね。哀しみを背負いながら、表面は努めて明るく振る舞ってみせるというモーツァルト流の音楽がここではいつになく胸に染みます。

 音楽的な効果を狙わず、あえて抑制するように静かに開始される第1楽章は、華やかで愉悦感に満ちたいつものモーツァルトの音楽とは大いに違います。無垢ではあるけれども、理想に満ちた人間感情ではなく、変幻自在に光と影、陽と陰を往来するような透明な詩情が肉体を超えた魂の歌のようにも鳴り響いてくるのです。

 第2楽章では遠くを見つめ、涙をためながら立ちつくすモーツァルトの姿が目に浮かぶようです。走馬燈のように様々なエピソードが心に去来するのですが、ここではすべてを達観した澄みきった心境が優しいメロディや美しい記憶となって甦ってくるのです。物思いに耽るクラリネットの多彩で深い表情とクラリネットを温かく包み込む管弦楽の響きが忘れられません。

 推薦したいCDはトーマス・フリードリ(クラリネット)、 チューリヒ室内管弦楽団 =エドモン・ド・シュトウツ(指揮)による録音です。フリードリのクラリネットの表情は深く、とても豊かでまろやかです。クラリネットを受ける管弦楽の響きも素晴らしく、心の嘆き、つぶやき、瞑想等のさまざまな感情がクラリネットと管弦楽のやりとりの中に見事に浮かび上がってくるのではないでしょうか!




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