2014年1月26日日曜日

音楽を愛し、音楽に愛されたクラウディオ・アバド



アバド氏の死を悼む









 先日、ニュースで指揮者のクラウディオ・アバドさんが亡くなったことを知りました。享年80歳だったそうです。私はこのニュースを聴いて大変にショックを受けました。
 なぜなら、私がクラシック音楽に親しみ始めた1980年当時、アバドさんはまだ若手・中堅のホープと言われた人だったのでした。その頃の若々しく躍動感にあふれた残像や演奏は瞼に焼きついて離れず、今後もいろいろな驚きを与えてくれるだろうと信じていたからです。

 もちろん人並み外れた才能と音楽性の持ち主で、その前途は洋々たるものだったことは間違いありません。。私も近い将来、世界を席巻する大指揮者になる人だろうと思ったのでした……。
 中でも1970年代に録音されたチャイコフスキーの「ロミオとジュリエット序曲」とスクリャービンの「法悦の詩」の何とも言えない正統的なリリシズムに痛く感動したものでした。
 また、チャイコフスキーの「悲愴」もあふれるような歌があり、このように鳴ってほしいというイメージにオーケストラの響きがその如く再現されるのが大変な驚きでした。「亡き王女のためのパヴァーヌ」の美しく透明感に満ちた表情、ブラームス「第2」の既成概念にとらわれない無垢な歌! もちろんヴェルディやロッシーニのオペラの素晴らしさはイタリア人としての強い共感が成せる技だったのでしょう!
 本当に、1970~80年代のアバドさんの音楽はいつも初々しい感動と音楽を聴く喜びを与えてくれたものでした……。

 しかし、1990年のベルリンフィルの常任指揮者、音楽監督就任という名誉ある立場が彼の音楽人生の歯車を少しずつ狂わせてしまったのではないのでしょうか? ベルリンフィルと言えば泣く子も黙る天下の名オーケストラ、世界中の音楽ファンが良くも悪くも注目を寄せるのも無理からぬことです。皮肉なことに彼の持ち味である歌やインスピレーションや躍動感は次第にこの頃から薄れていったのです。

 もしこれがベルリンフィルではなく、ロイヤルコンセルトヘボウやバイエルン放送交響楽団とかであれば、事情は大きく変わっていたことでしょう。  
 ご本人も深く悩まれたのでしょうし、出口のないトンネルをいつもトボトボ歩く感じだったのかもしれません。結局2002年に体調を崩し、ベルリン・フィルを退団されるのですが、それでもこのベルリン・フィルの十数年は後進の育成や音楽環境の整備に多大な貢献をされたと聞きます。
 
 彼は最後の最期まで真の音楽家としての人生をまっとうされたのでしょう。きっと天上界でも美しい音楽を響かせてくれるのではないでしょうか。
 心からご冥福をお祈りします。



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