2013年6月3日月曜日

クリント・イーストウッド 「ミリオンダラー・ベイビー」








ハリウッドの常識に染まらない映画

 2004年の映画、「ミリオンダラー・ベイビー」はここ数年間に見たハリウッド映画の中で文句なしに最高の映画でした。でも公開当時、アメリカ国内での反応はマチマチだったようです。興行収入をどれだけ叩き出すかが作品の価値と言われ、映画館動員数が絶対条件とも言われるハリウッドでこの映画は少々異質な映画だったのです……。
 昔からハリウッド映画産業とも言われ、商業路線をひた走りしてきたハリウッドですが、近年は明らかに芸術性やメッセージ性とは無縁な映画が氾濫するようになったのは確かなようです。何とも行く末を案じるしかない淋しい状況ですが、それでも稀に傑作がポーンと現れたりするのもハリウッドのハリウッド所以たるところでしょうか……。


ボクシングの師弟関係を超えた絆

 その稀にみる傑作の一つが「ミリオンダラー・ベイビー」であることは間違いありません! 注目は監督と劇中の名トレーナー、フランキー役を兼任するクリント・イーストウッドの存在でしょう。クリント・イーストウッドは言うまでもなく映画「ダーティハリー」で一世を風靡した俳優ですが、最近は活動の多くを監督業に割いています。それにしてもこの映画での細かい感情表現や深い人物描写はなかなか他に例を見ないもので、イーストウッドの成熟した力量に改めて驚かされるのです。
 映画は女子プロボクサーのマギー(ヒラリー・スワンク)と二人三脚で試合に臨むトレーナー、フランキー(クリント・イーストウッド)の話なのですが、決して女子プロボクサーのサクセスストーリーを描いたスポーツものではありません。実はよく似た境遇を辿ってきた(共に家族の愛に飢えていた…)二人が実の親子以上の絆を持つようになる人間ドラマなのです。つまり、心に深い傷を負った二人が同じ目的を持って練習や試合に臨むうちに師弟関係を超えた深い絆が生まれてきたということなのでしょう。


家族の愛に恵まれないマギー

 映画の中で特に印象的なシーンがあります。それはマギーがチャンピオンになり、長年の夢だった家を家族のために買ってあげたのですが、喜ばれるどころか「あなたの当然の義務!」のように吐き捨てられてしまいます。マギーにはまったく関心を向けないのに、そのくせボクシングのファイトマネーを要求してくる家族に、ついに彼女は見切りを付けてしまったのでした。
 ちょうどその頃、何気なくマギーが車の窓越しに外を眺めると、隣の車の中で親子が無邪気に戯れている様子が目に飛びこんできます。母親に甘え、愛嬌振りまきながらいろんな話をする子ども。その屈託のない笑顔……。どこにでも見られるあたりまえの光景なのに、マギーにとってはそれがあまりにも遠く叶わぬ夢であることに愕然とするのです。幸せそうな家族の姿を見ながら、心の行き場を失ってしまったマギーの失望感が痛いほど伝わってくる忘れられないシーンです。
 マギーは億万長者になりたかったわけでも、名声を得たかったわけでもなく、ただ家族にふり向いて欲しいだけだった……。家族の絆を感じたかっただけなのでしょう。ここにこの映画の深い闇があったのです。


深く考えさせられる衝撃のラスト

 チャンピオンの座に辿り着いたマギーですが、それ以降も快進撃を続けます。しかし、ある日フェアプレイを逸脱するボクサーとの対戦で不慮の事故に遭い、半身不随になってしまいます。回復する見込みもなく、もはやボクシングが出来なくなってしまったマギーは生きる望みを失ってしまい、フランキーに何度も「死なせてほしい」と懇願するようになります。このあたりから映画は暗い影に覆われていくのですが、懸命に最善の方法を見いだそうとするフランキーの姿に救われる気がします…。
 キリスト教会や障害者の団体から衝撃のラストについて否定的な意見が相次いだということですが、この映画の場合は決して形で見るべきではないと思います。二人の固い絆が導き出した結果がたまたまそういうものだった……ということに尽きると言っていいのかもしれません。
 
 この映画に大きく貢献しているヒラリー・スワンク、クリント・イーストウッド、モーガン・フリーマンの地に足がついた演技も見事で、時間の長さも忘れ映画に引き込まれてしまいます。とにかく久し振りに人間の深い内面の世界を描き、考えさせられたハリウッド映画でした。





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