2011年5月23日月曜日

マーラー 交響曲第6番イ短調







  マーラーの交響曲が今アツイです!確かマーラーブームが始まったのは1980年代の後半だったように記憶しているのですが、2000年代に入ってからその勢いはまったく衰えることなく、現在はピークに達しようかという勢いです。もちろんレコーディングも多く、毎月各レーベルから新譜が5〜7枚出ることも珍しくありません。日本でのコンサートも多く、しかも実力派指揮者が交響曲シーリーズとして録音も兼ねて指揮することも珍しくない状況です。現代は本当にマーラー交響曲百花繚乱の時代と言っていいのかもしれません。

  今、何故これほどマーラーの交響曲がクラシックファンの支持を得ているのでしょう?
 まず思い浮かぶのは一般のクラシック音楽にはない柔軟性の高さやユニークな曲想があげられるのではないでしょうか。
 たとえば、突然スペクタクル映画の効果音のようなメロディが現われたかと思えば、コミカルな経過句があらわれたり、ディズニー映画を思わせるファンタジックな曲調も顔を覗かせる等、その音楽の要素は一筋縄ではいきません。しかし、この不意打ちのようなさまざまな要素は意外に現実味を帯び、多くの人の共感を呼んでいることも間違いないのです。
 そして古典の交響曲作品のように、弦楽器中心ではなく金管楽器や木管楽器が対等のレベルで活躍し曲を盛り上げるところも、多様な価値観が渦巻く現代にあっては非常に大きな魅力になっているのだと思います。
 
 逆説的にいえば、モーツァルトやベートーヴェンの場合は外観があまりにもすっきりしているため本質をしっかり捉えていないと思わぬ大失敗する恐れも多く、リスクを抱えやすいのです。
  しかし、マーラーの場合は楽器の数が圧倒的に多く、演出効果も加味しながら大編成で演奏されることが多いためにマーラーの音楽に心底共感し、理解している人ならば名演奏になる確率が非常に高くなるのです。
 マーラーのスコアに対する指示も大変に細かく、それを見ても作品の全体像がある程度わかってしまうほどです。マーラーの曲に対するこだわりは尋常ではなく、それは作曲家というより、指揮者的な観点が強いのかも知れません。

 ところで交響曲第6番はマーラーの中期の名作です。ただし、「第一・巨人」、「第二・復活」、「第四」、「第五」、「第九」、「大地の歌」のようにコンサートの花形的プログラムではありません。そのかわり、本質的なマーラーの人となりはこの作品で充分に味わうことができるでしょう。時に「晦渋すぎる」、「重々しくて愉しめない」という意見もあったりしますが、彼の最高傑作のひとつ「第九」に通ずる、虚飾を極力排除した深い表現は何度聴いても飽きません。

 第1楽章で現れる「アルマのテーマ」は愛おしさや哀愁を滲ませた美しいメロディですが、悲劇的で豪壮な行進曲風のメロディに代表される第1主題といい意味で対比され、マーラーがこの曲でいいたかった全体的なイメージが見渡せるようになります。
 第2、第3、最後の第4楽章と通常のマーラーとは違い古典的でありつつ抽象的な主題、旋律が続き、片時も息をつけない展開が続きます。


 演奏で忘れられないのはベルティーニが2002年に東京都交響楽団を振ったフォンテック盤です。取り立てて強い主張があるわけではありませんが、全楽章を通じ意味深く、豊潤な響きで貫かれています。何度も鑑賞に堪える素晴らしい名盤といえるでしょう。
 東京都交響楽団は現在もエリアフ・インバルの定期コンサートで素晴らしいマーラーの演奏を繰り広げています。



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