2010年11月5日金曜日

ラモー レ・ボレアド



Rameau: Les Boreades by John Eliot Gardiner(CD)

Rameau: Les Boreades by Willam Christie(DVD)


手垢がついてない宝の山・ラモーの傑作




音の絵具箱のようなラモーの音楽

 フランスバロックの巨匠、ラモーのオペラは1990年代以降、盛んにレコーディングされるようになりました。私にとってそれは本当にうれしい事実です!こんなに楽しくて生気にあふれた音楽は、めったにはないからです。理屈っぽさはどこにも見あたらず、その音楽は雄弁で洗練された味わいを持っています。しかも少しも軽薄にならず、しっとりとした哀愁も随所に感じさせるのです。

 ラモーの音楽はまるで音の絵具箱のようです。あるときは透明なパステルカラーのようであり、また時にはかすれた水彩の滲みを想わせたりします。その色合いは本当に変幻自在です。そうかと思えば、小鳥のさえずりや季節の香り、新鮮な空気の漂う様子が充実した和音の中で繰り広げられます。ラモーは自然の情趣を気負い無く奏でるミューズの詩人なのだと思います。その美しさはファンタジックでメルヘン的な要素を伴い絶品です。


注目され始めたラモーのオペラ

 ラモーの音楽は1980年代の後半まで芸術性の高さの割には正当に扱われることがありませんでした。とかくクラシック音楽と言えば格調高く神秘的な要素を持たなければならないとか、重厚で難解であることが傑作の条件であるかのように思われがちです。けれども、あけっぴろげで純粋で見通しのいい音楽は一段下のものと思われることも少なくありません。そういう意味ではラモーは不遇な作曲家の部類に入るのかも知れませんね。

 クラブサン曲に限ればバロック音楽の大きな流れのひとつという意味で以前からレコーディングはされてきていました。しかしオペラに関してはほとんど無視されるか正当に採り上げられることはありませんでした。ラモーのオペラに接すること(演奏面、演出面)は、いわば手垢がついてない埋もれた宝の山を掘り当てるのに近い世界があるのではないかと思います。もちろん、ラモーのオペラは後の古典派やロマン派のオペラの構成や作曲法とは異なります。ストーリー性や心理的なドラマにはあまり目を向けてはいないものの、それを上回る抜群の雰囲気があるのです。

 ラモーのオペラが盛んにレコーディングされるようになった1980年代の後半は、奇しくもオリジナル楽器の演奏が市民権を獲得して、モダン楽器にはない透明な響きを伝えようとした時期と重なります。既に様々な演奏で語り尽くされた感があった大作曲家の作品に比べ、ラモーの作品は非常に新鮮だったのは間違いありません。ラモーのオペラはオリジナル楽器を演奏するアーティストたちによって魅力の扉が開かれ、陽の目を見るようになったといっても過言ではありません。

 オペラとして視覚的な要素を抜きにしても音だけでも充分に楽しい……。では何故これほど素晴らしいラモーのオペラが長年評価されなかったのでしょうか? おそらくそれはモダン楽器の演奏では響きが濁ってしまい、ハーモーニーが鈍重に聞こえてしまうからなのではないかと思うのです。あくまでも彼のオペラは無垢で優雅な表情が全面に引き出されなければならないし、ハーモニーは透明でなければ魅力が半減するといっても過言ではありません。


晩年の傑作「レ・ボレアド」

 このレ・ボレアドはラモーの晩年の傑作です。「北風の神ボレアスを信奉する人々(ボレアド)」の女王が、身分を超えた愛をついにつかみ取る愛の勝利を描いた物語です。アリアの美しさ、透明感溢れるピュアなサウンド、立体的な音の構築等、至る所にみずみずしいデリカシーや美しい旋律が溢れています。
 演奏ではまずガーディナーを筆頭にあげなければならないでしょう!ガーディナーはラモーとの相性がかなりいいようで、この作品でも自由自在に曲を操り、ラモーの無垢でファンタジックな要素を見事に引き出しています。とりわけ合唱とメリハリの利いた管弦楽が素晴らしく、ラモーが伝えたかった表情がセンス満点に表現されています。
 映像で素晴らしいのはカーセン演出、クリスティ指揮のパリ・オペラ座での2003年公演です。とにかくカーセンの色彩豊かな舞台に息をのみます。そして隅々にまで神経が注がれた稀有なエンターテインメント性に驚かされます。ボニー、アグニュー、ナウリらを揃えた歌手もベストマッチで夢のような舞台を盛り上げます。踊り、歌、ドラマ、色彩のハーモニーの中で演じられる、時代を超えたエンターテインメントとして今後も語り継がれることになるのではないでしょうか。





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