人間を暖かく見つめる
キャプラの真骨頂!
少しずつ春らしくなり、暖かくなってまいりました。何かを始めるには今が一番いい時期かもしれませんね!このところ「いい映画が観たい!」としきりに心の中で叫ぶ毎日です。でも、そうそういい映画にはめぐり会えるものでもありません。今日は私がこれまで観た映画の中でも特に印象に残っている映画についてお話したいと思います。
「素晴らしき哉、人生!」はもう半世紀以上も前の作品ですが、作品の魅力は薄れるどころか、ますますその輝きを放ち、価値を深めています。監督のフランク・キャプラはかつての映画の黄金時代に多くの人に夢と希望を与え、良心に訴える作品を作り続けた名匠でした。一言で言えば、彼の作品には悪意がありません。毒も然り‥。あるのは信頼であり、愛情であり、ウイットに富んだユーモアであり、人間を暖かく見つめるまなざしなのです。
このことゆえに彼は多くの誤解を受けました。やれ「深みが足りない」、「インパクトに欠ける」、「きれい事だ」等々、言われなき中傷を受け、偏見の目で見られることが多かったようです。
しかし、キャプラの作品は理屈抜きに素晴らしいです。「素晴らしき哉人生!」では、主人公のジョージ(ジェームズ・スチュアート)が会社の資金繰りに困り果てて、自殺を思い立つのですが、その時、天使によって「もしこの世に自分自身が存在しなかったらどうなっていただろうか…」という仮定のもとに虚無の世界を見せつけられます。
これがまた恐ろしい味気ない砂漠のような世界で、絶望のどん底に突き落とされる様子が迫真の演技と共に展開されていくのですが、人と人が関わりを持たないということがどれほど空しく恐ろしいことなのかを嫌というほど実感させられるのです。
しかし、ジョージが絶望の極地から立ち上がり、みんなのために生きていこうと思い立ったとき、家では信じられないような奇跡が彼を待っていたのでした……。ジョージはこの時はじめて、人間は決して1人で生きているのではないということを痛感するようになるのです!
鋭い人間洞察の
眼が光る名画
キャプラの人間を観る目の深さに真底驚かされるシーンがあります。それはジョージが会社の資金を失って、悲嘆に暮れて家に帰ってきた時の場面です。
ジョージは自暴自棄になって家中を蹴飛ばしたり、子供たちを怒鳴るのですが、この時、家族はクリスマスパーティーの準備の真っ最中だったのです。傍らでは幼い娘がパーティーに演奏するピアノを練習していました。しかしジョージは「やめてしまえ」と怒鳴ってしまいます。家族の楽しそうな雰囲気はこの一言で一変してしまいます……。
さすがに彼はとんでもないことを言ってしまったと思い、娘に素直に謝りながらピアノの練習を再開するように言うのですが、娘は父親の表情やしぐさから父親が置かれている状況がただ事ではないことを察するのです……。
「もう弾かないから許して」と娘は泣きながら答えるのですが、この子の健気な姿がとても印象的で、無性に胸をうつのです。
もはや家族はクリスマスパーティーどころではありません。今まで見たことのない父の様子に、家族は一様に驚き、その姿に恐ろしい何かを感じたのです。失意の中で人格も変貌し、恐ろしい形相で家族に向かってくる父の姿は異様に思えたのでしょう。愛の絆で強く結ばれていた家族だからこそ、逆にその反動は大きく恐れや悲しみも大きいことを物語っているかのよう名シーンでした。
誰でも、「自分なんて誰からも必要とされてない」、「生きてる価値があるのか」と自分を責め、孤独の泥沼に陥ることが往々にしてあります。 でも、決してそうではありません。1人の人生がなんと多くの人と関わっているのか、幸せにしているのか、そんな素晴らしさを教えてくれるのがこの作品なのです。
このあふれるような「人間愛」、「人を信じることの大切さ」、「あなたがいるから幸せになれる人がいる」等、全編に散りばめられた生命のメッセージは忘れかけていた大切なものを呼び覚まさずにはいません。
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